音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ショスタコーヴィチ、7番の交響曲、レニングラード。

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オペラの序曲、シンフォニアが独り立ちして、歩み出した、交響曲の歴史。18世紀、教会交響曲が登場し、協奏交響曲がブームとなって、さらに、「自然に帰れ」の波に乗り、田園交響曲まで誕生。19世紀になると、ロマン主義に刺激され、より自由な交響詩を派生させる。絶対音楽たる交響曲ではあるけれど、その歴史を振り返れば、それぞれの時代を反映したヴァイリエイションが存在していて、なかなか興味深い。で、20世紀は?戦争交響曲... それは、2つの世界大戦のあった世紀を象徴する音楽だったと言えるのかも... もちろん、「戦争交響曲」に、明確な定義はない。けれど、近代戦の衝撃を目の当たりにし、生み出された交響曲には、独特な存在感がある。第一次大戦(1914-18)により国家存亡の危機を経験したデンマークニールセンによる4番、「滅ぼし得ざるもの」(1914-16)と、5番(1921-22)や、第一次大戦下、ロシア革命(1917)により独立を果たすも、内戦(1918)に突入し、苦難を味わったフィンランドシベリウスによる5番(1915/21)にも、戦争交響曲的な性格を見出せる気がする。が、20世紀、戦争交響曲と言えば、やっぱりショスタコーヴィチ...
ということで、第二次大戦、レニングラード包囲戦の最中、作曲された戦争交響曲。ヴァシリー・ペトレンコ率いる、ロイヤル・リヴァプールフィルハーモニー管弦楽団の演奏で、ショスタコーヴィチの7番の交響曲、「レニングラード」(NAXOS/8.573057)を聴く。
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モソロフ、鉄工場、だけじゃない...

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音楽史におけるソヴィエトの存在を振り返ると、それは、まさに"冬"だったなと... 2019年、「表現の不自由」で、お祭り騒ぎができた、一面のお花畑、ニッポンの春からしたら、本当の意味で背筋が寒くなる。不自由、云々の騒ぎでなく、表現の自由が無い世界... クリエイターたちの創意が否定されるなんて、はっきり言って、想像が付かない。しかし、驚くべきは、そうした中にあっても、様々な作品が生み出されていた事実。抑圧下にありながら、クリエイターたちは、強かに、逞しく、自らの表現を模索した。ある意味、抑圧下だったからこそ、到達できた境地もあったように思う。ソヴィエトが崩壊する前後の室内交響曲から、ソヴィエトの停滞期の交響曲、"雪融け"の時代の交響曲を聴いて来て、そんな風に強く思う。冬には冬の力強さ、美しさが存在するように... が、忘れてならない、ソヴィエトにも春は存在した!そもそも、ロシア革命(1917)により、旧来の伝統が打ち壊されて、クリエイターたちは、まったく新しい表現を炸裂させていた!そう、ロシア・アヴァンギャルド...
ということで、ロシア・アヴァンギャルドの申し子、モソロフに注目!ヨハネス・カリツケの指揮、ベルリン放送交響楽団の演奏で、代表作、「鉄工場」に、シュテッフェン・シュライヤーマッハーのピアノで、ピアノ協奏曲(CAPRICCIO/C 5241)などを聴く。
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ショスタコーヴィチ、13番の交響曲、バビ・ヤール。

今、改めて、ソヴィエトの音楽を振り返ってみると、実に興味深いなと感じる。ロシア革命(1917)に呼応するように、ロシア・アヴァンギャルドが炸裂した1920年代、刺激的な音楽が次々に生み出されるも、そうした自由は長く続かず、1930年代、スターリンが政権を掌握すれば、革新は嫌悪され、伝統回帰へ... やがて「社会主義リアリズム」という名の検閲が始まる。さらに、第二次大戦を経て冷戦が始まれば、西側の最新の音楽(いわゆる"ゲンダイオンガク"... )からは切り離され、旧時代が奇妙な形で保存される。それは、極めて抑圧的な状況... が、プレッシャーが加えられての表現は、他ではあり得ないセンスを育んで、ソヴィエトならではのテイストを聴かせてくれる。いや、クリエイターとは、どんな状況下に在っても、オリジナリティというものを模索し、形作って行くのだなと... かつては体制に即した音楽だ、プロパガンダだと言われながらも、その体制が消滅し、プロパガンダが無意味となった今こそ、ソヴィエトの音楽の特異性は解き放たれるのかも... ということで、ヴァインベルクを聴いたら、やっぱりショスタコーヴィチも... で、山あり谷あり、苦闘の果ての、晩年の交響曲に注目。
ヴァシリー・ペトレンコ率いる、ロイヤル・リヴァプールフィルハーモニー管弦楽団の、ショスタコーヴィチのシリーズから、13番の交響曲、「バビ・ヤール」(NAXOS/8.573218)と、14番の交響曲、「死者の歌」(NAXOS/8.573132)の2タイトルを聴く。
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ヴァインベルク、室内交響曲。

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2019年は、ヴァインベルクの生誕100年のメモリアル。だったのですね... 年明けてから気付きました。で、凹んでおります。毎年末、来年、メモリアルを迎える作曲家には、誰がいるのかなァ~ と、ワクワクしながら調べるのですが、まさか、ヴァインベルクを見落とすとは... いや、まだまだマニアックとはいえ、ここ数年、明らかに再評価の機運が高まっているヴァインベルク。ECMクレーメルが、CAHNDOSでスヴェドルンドが、積極的にヴァインベルグを取り上げて来て、その音楽の魅力は、ジワジワと知られつつある?いや、ショスタコーヴィチの弟分にして、その延長線上で、もうひとつ洗練されたものを響かせるヴァインベルクの音楽は、なかなか魅力的。何より、20世紀の音楽が音楽史に回収され、現代音楽というフレームを外して見つめることができるようになって、初めて、近代以前の伝統が息衝くヴァインベルクの音楽は、輝き出すように感じる。
ということで、12月8日が誕生日だというから、生誕100年から、まだ2ヶ月は経っていないぞ!と、豪語の追い祝い... ギドン・クレーメル率いる、クレメラータ・バルティカの演奏で、ヴァインベルクの室内交響曲(ECM NEW SERIES/4814604)を聴く。
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エストニア、ルーン歌謡と民謡聖歌。

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冬はピアノ... に、続いて、冬っぽさを求めて、北欧の音楽なんか聴いてみようかなと... で、バルト三国エストニアに注目!さて、エストニアと言いますと、N響のシェフ、パーヴォの出身国でありまして、つまり、ヤルヴィ家の故国でありまして、そのヤルヴィ家とも親交のある、癒し系の先駆者、ペルトを生んだ国。いやいやいや、それだけじゃない、クレークに、トゥビンに、トルミスに、トゥール、何気に、音楽大国... そんなエストニアの音楽の真骨頂は何かと言いますと、ズバリ、歌!何と、現在のエストニア共和国は、"歌う革命"(ソヴィエトからの独立運動、人々は、デモで歌ってソヴィエトに対抗した!ことからそう呼ばれる... )によって成立しておりまして... というくらいに、歌うことは、エストニアの人々にとって、欠かせないもの。それを象徴するのが、5年に一度、首都、タリンで開かれる、全国歌謡祭(1869年に始まり、紆余曲折ありながらも、昨年、第27回を開催!2003年には、ユネスコ無形文化遺産にも登録... )。国中から集まった様々な合唱団が、民族衣装を着て、練り歩き、歌い、最後はひとつとなって、愛国歌を歌うという民族の祭典。で、その規模、30万人(エストニアの人口が130万人というから... 凄い... )!いや、歌うエストニア、恐るべし... そんなエストニアの、歌のルーツを探る。
エストニアの作曲家、マルゴ・コラルが率いる、エストニアのヴォーカル・アンサンブル、ヘイナヴァンケルが、エストニアの人々が太古の形式を受け継ぐルーン歌謡と、民謡をベースとしたエストニアの聖歌に、そうしたエストニアの歴史と伝統に根差したコラル自身による作品を歌うアルバム、"song of olden times"(harmonia mundi/HMU 907488)を聴く。
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シューベルト、19番と20番のピアノ・ソナタ。

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冬はピアノ... ということで、ピリオドのピアノによるシューベルトのピアノ・ソナタに始まり、フェルドマンの1950年代のピアノ作品、シャリーノの1990年代のピアノ作品と、ある意味、ピアノの際立った面を聴いて来た今月半ば... 際立ったればこそ、この楽器が持つ表情の幅、あるいは可能性を思い知らされた。ピリオドのピアノの、枯れたようなサウンドだからこそ克明となる作曲家(シューベルト)の心の内、たっぷりと間を取った抽象(フェルドマン)が引き立てるピアノの研ぎ澄まされた響き、研ぎ澄まされた響きを、静けさの中に浮かべて、滲み出す思い掛けない色彩(シャリーノ)。ただ打鍵するだけならば、初めてピアノに触れるキッズも、老練なヴィルトゥオーゾも、まったく同じ音を出せるピアノ。均質に音を出せるマシーンたる所以の凄さなのだけれど、それをも凌駕して行く作曲家たちの仕事であり、ピアニストの腕であり... 凄いピアノに、如何に挑もうか、そういう気概が、マシーンであることを越えてピアノの宇宙を拓き、ますます凄い!そうしたあたり、刺激的だなと...
さて、再び、シューベルトへ。アンドラーシュ・シフが、1820年頃製作のフランツ・ブロードマンのピアノで弾く、シューベルトの19番と20番のピアノ・ソナタに、4つの即興曲、3つのピアノ曲も取り上げる2枚組(ECM NEW SERIES/4817252)を聴く。
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シャリーノ、ピアノ作品集。

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大寒、です。改めて、その字面を見つめると、インパクトある!で、この間の土曜日、雪、降りました、関東平野... ほんの少しだけれど、それでも、雪が降る情景に、スペシャル感、感じずはいられないのは、雪降らない圏の住人の性。冬、大いに寒いのはイヤだけれど、冬らしい情景を目の当たりすると、人知れずテンション上がってしまう。もちろん、積もったりすると、目も当てられない状況に陥るのが、雪降らない圏の脆弱さでありまして、テンションなど上げてる場合じゃないのだけれど、それでも、真っ白な冬、降り積もった雪に、世間の音が雪に吸収されて生まれる静寂は、ファンタジー!またそんなファンタジーに包まれたい... とは言え、温暖化が進めば、それは伝説になってしまうのだろう。大いに寒いのは苦手だけれど、ファンタジーが消えうせてしまうのは、やっぱり寂しい。さて、冬はピアノ... ファンタジーではない、クリアな冬の空気感の中、ピアノのクリアな響きを味わおうという今月、再び、"ゲンダイオンガク"の研ぎ澄まされたピアノに触れてみようかなと...
アメリカの戦後「前衛」世代、フェルドマンの抽象に続いて、イタリアの"ゲンダイオンガク"のアウト・ロー、シャリーノ(b.1947)による不思議な音楽世界。フロリアン・ヘルシャーのピアノで、シャリーノのピアノ作品集(NEOS/NEOS 11124)を聴く。
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