音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

新しい時代の始まりに... 戴冠ミサ。

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改まりまして、おめでとうございます。って、もうなんか、お正月のスペシャル版みたいな心地で迎えております、5月1日。テレビで、カウント・ダウンの中継を見ながら、すっかりテンションも上がってしまいました。いや、本当に良い時代になって欲しい!令月風和む世の中になって欲しい!そんな思いを強くした「時代越し」でした。そして、歴史が動きましたよ!歴史の教科書の裏の年表で言ったら、○○時代という区切りの線を乗り越えちゃったわけです。凄い!って、昭和から平成というのも経験しているのだけれど、当時は、そこまで、いろいろ見据えることができるほど、成熟していなかった、というよりこどもだったなと振り返る。でもって、まだまだ未熟であります。もっともっと、しっかりしたい、がんばりたいと思う、晴々しい令和一日目でもあります。そうそう、晴々しいと言ったら、もう、天照大神さまもがんばられたみたいで、天気予報、曇りとか雨だったように思うのだけれど、即位の礼が始まる前には、晴れちゃった!そりゃ、ハレの日だものね。そんなプチ・ミラクルにも、ときめく。
ということで、令和元年の最初は、やっぱりこれかなと。新天皇陛下のご即位をお祝いして、ロランス・エキルベイ率いる合唱団、アクサンチュスと、サンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)、レナータ・ポクピチ(アルト)、ベンジャミン・ブルンス(テノール)、アンドレアス・ヴォルフ(バス)の歌、インスラ・オーケストラの演奏で、モーツァルトの戴冠ミサ(ERATO/90295 87253)を聴く!

1779年、ザルツブルク大聖堂における復活祭のために作曲された、と思われる、モーツァルトの戴冠ミサ(track.1-6)。なぜ「戴冠」か、というと... 1790年、神聖ローマ皇帝、レオポルト2世(在位 : 1790-92)が即位した時に、その即位を祝って、帝国各地の教会にて行われたミサで取り上げられたから、らしいのだけれど、その時、この戴冠ミサばかりでなく、「大ミサ」として知られるK.427のハ短調ミサを取り上げるところもあったというから、戴冠ミサが、特別、「戴冠」であったわけではないみたい。それでも、戴冠ミサなのは、やっぱりそれだけ晴れがましいからだと思う。復活祭のために作曲された戴冠ミサは、やっぱり春めいていて、新たな御代を迎えるのに、ぴったり。一方で、当のレオポルト2世は、イタリア人贔屓(ナポリ楽派、チマローザを楽長に招聘... )。帝位を継承する以前は、トスカーナ大公としてフィレンツェに宮廷を構えていたから、当然、そうなるか... サリエリを筆頭に、先帝、ヨーゼフ2世(在位 : 1765-90)の下で活躍したウィーンの作曲家たちは、リストラ。それでも、モーツァルトは、即位を祝うオペラ『ティートの慈悲』を作曲し、やがて「戴冠式」と呼ばれることになる26番のピアノ協奏曲を戴冠式が行われるフランクフルトで演奏するなど、奮闘するも、甲斐無く、翌年に世を去る。戴冠したその人(も、モーツァルトが逝った翌年にはこの世を去り、ウィーンの作曲家たちが復権!)の関心こそ得られなかったが、帝国の人々は、モーツァルトの音楽で新帝の即位を祝い、その記憶が戴冠ミサに刻まれたわけだ。何だか、感慨深いエピソード... そんなエピソードを見つめると、また違った印象を受ける戴冠ミサかなと...
いや、大ミサに比べると、そこまで取り上げられることのない、戴冠ミサ。大ミサ(1783)は、"大"だけあって、規模も大きく、また、当時としては異例の、委嘱による作曲ではなく、作曲家、モーツァルトの思いの丈が表現され切っていて、聴き応えは十分過ぎるほど... 一方の戴冠ミサは、ザルツブルク大司教の宮廷オルガニストとして作曲され、大司教主導で鋭意推進中の教会音楽改革(華美になり過ぎたあたりをタイトに... )に則って、弦楽パートはヴァイオリン2部のみ(通奏低音には、チェロとコントラバスが加わる... )、全体の構成は短く、作曲家としては表現に制約のあるもの。が、それを物ともしない天才!というより、そのシンプルな響きと、無駄の無い構成を活かし切って、復活祭=春らしい明朗な音楽を織り成すモーツァルト!始まりのキリエ、冒頭こそミサらしい荘重さを見せるものの、ソプラノとテノールが歌い出せば、芳しい春の風が吹いて来るようで... 続く、グローリア(track.2)では、風は勢いを増し、そのパワフルな音楽に惹き込まれる。一方で、表情にも富んでいて、このあたりがモーツァルトの天才たる所以かなと... 改めて戴冠ミサを聴いてみると、その表情が刻々と変わって行くことに驚かされる。典礼に則って、粛々とそれぞれの場面にあった音楽を書いて行くだけではない、聴き手に展開で楽しませるモーツァルト。圧巻は、アニュス・デイ(track.6)。ソプラノが、まさにモーツァルトの時代ならではの愉悦に満ちたメロディーをやさしく歌い、すでに魅了されてしまうところに、やがてテノールがソプラノに続き、アルトが、バスが加わり、最後にコーラスが歌い出し、ぱぁっと花が咲く!花が咲いてのドナ・ノービス・パーチェムのキャッチーさがまたツボ。一緒に歌えてしまうほどのシンプルさと、シンプルなればこその力強さが、元気をくれる!故郷、ザルツブルクを立つ前年に書かれた戴冠ミサには、モーツァルトの、この先への希望が覗くような気がする。
さて、戴冠ミサの後には、1780年モーツァルトが、ザルツブルク大司教の宮廷オルガニストとして、最後に作曲された教会音楽、証聖者の荘厳晩課(track.7-12)が取り上げられる。って、戴冠ミサの、お約束のカップリング曲?そんなイメージもある証聖者の荘厳晩課は、何だか戴冠ミサに似ている。というより、久々に聴いてみると、焼き回しか?とすら思えて来る部分も... 戴冠ミサのアニュス・デイ(track.6)の前半、ソプラノが歌うパートが、そのまま証聖者の荘厳晩課のラウダーテ・ドミヌム(track.11)に転用されていて、このあたりにモーツァルトの宮仕えへの窮屈さみたいなものが表れているのかな?とも思うのだけれど、ウィーン進出前夜の音楽ということで、もう一歩を踏み出して、挑戦する姿も見受けられるのか... おもしろいなと思うのは、夜の祈りであるヴェスペレ=晩課ということで、どことなしに夜っぽさが感じられる?戴冠ミサの明朗さからすると、趣きを異にし、雰囲気があるような、ないような... いや、思いの外、中身の濃い、証聖者の荘厳晩課。そんな充実した音楽に触れると、ザルツブルクは、けして、天才にとって、窮屈なばかりではなかったようにも思えて来る。
という戴冠ミサを、エキルベイ+アクサンチュスで聴くのだけれど、フランスならではの明朗さ、色彩感が活きるハーモニーが、モーツァルトの花々しさをふんわりと表現していて、素敵。ふんわりとしながらも、モーツァルトならではの、春の陽気を思わせる複雑な表情を丁寧に捉えていて、その一様ではないところに惹き込まれる。ミサ=典礼音楽なのに、そういう儀式めいたものを感じさせず、音楽がナチュラルに流れて行き、時折、オペラのようなドラマ性を盛り込むエキルベイのセンス... それをしなやかに歌うアクサンチェス... 凄く自由なアプローチのようでいて、モーツァルトらしさが際立つおもしろさ!そのあたりが絶妙。そこに、存在感を見せるのが、ピオーのソプラノ... 相変わらずクラッシーで、伸びやかで、聴き入るばかり。特に、アニュス・デイ(track.6)は、白眉!という歌声を支える、エキルベイが創設したピリオド・オーケストラ、インスラ・オーケストラが、またすばらしい演奏を聴かせてくれて... 各楽器が、それぞれに存在感を見せ、室内楽的な魅力がありながらも、力強いところはきっちりと鳴らし、戴冠ミサの晴れがましさを、大いに盛り上げる。

Mozart Coronation Mass
accentus Insula orchestra Equilbey


モーツァルト : ミサ ハ長調 K.317 「戴冠ミサ」
モーツァルト : 証聖者の荘厳晩課 K.339

サンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)
レナータ・ポクピチ(アルト)
ベンジャミン・ブルンス(テノール)
アンドレアス・ヴォルフ(バス)
アクサンチュス(コーラス)
ロランス・エキルベイ/インスラ・オーケストラ

ERATO/90295 87253