音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

新しい時代、令和のクラシック2.0を探る。

"Happy New Era"という言い方、カッコいいな... とか、ぼんやり思っている、令和、4日目です。いや、ホント、正月が来たみたい。でもって、寒くない正月... 春の新緑が眩しい頃の正月のスペシャル感たるや!不思議な心地に包まれながらのゴールデン・ウィーク。そうそう、上皇さまがおわします御代を、今、生きているというのも、何だか不思議な心地がして参ります。まるで、歴史の教科書の中へと迷い込んでしまったような... 時代は新しい方へと踏み出したはずなのに、かつての時代が蘇るという、これは、何か特別な時間旅行なのかな?サザン、ユーミン、サブチャンによる伝説となった紅白があって、年越して、確かに正月を迎えたはずだけれど、今、再びの正月のようで、正月のようだけれど、季節は春真っ盛りで、何か、この眩惑される感覚が、本当におもしろい!こんな感覚を味わえるのは、もう、当分、無いのだよね... そう思うと、在り難い。まさに、歴史を体感。てか、歴史って、体感できるんだ!と、変な感動も覚えてしまう。ひとえに、上皇さまの決断の賜物(上皇さま、ゆっくり休まれておられますでしょうか?何より、末永くお元気でありますように、そして、上皇后さまが、『ジーヴス』、じっくりと楽しまれますように... )。これを契機に、令和を、中身ある、良い時代にしていけたらと、強く思う次第です。
さて、本題です。音楽です。令和となって、クラシックはどんな風に前進するのだろう?間もなく、ベルリン・フィルに、新音楽監督キリル・ペトレンコが迎えられます。新しい時代がやってきそうです。とはいえ、クラシックの音楽そのものは変化しない。これが古典音楽の苦しいところ。それでも、変化ではなくとも、某かの拡張が起こったら刺激的じゃない?ということで、先月末、平成を振り返ったのに続いて、新しい時代、令和のクラシック2.0を、大胆にシュミレーション(?)してみる。

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クラシックはオリジナル主義が基本... これは、21世紀に入って、間違いなくより強まった。裏を返せば、オリジナルは、オリジナルのままに留められて来なかった音楽史の真実が炙り出されたわけだ。つまり、普遍を謳うクラシックは、不変では無かった。いや、その時代、その時代に合わせて、仕立て直されて来たからこそ、今に至っているクラシックでもある。モーツァルト版の『メサイア』があり、メンデルスゾーン版のマタイ受難曲があり、マーラー版の第九があり... オリジナルへの徹底したこだわりと同時に、リフォーメーションされて来た伝統をも活かすことができるならば、クラシックはまた新たな地平を獲得できるような気がする。そんな期待を抱かせてくれたのが、マックス・リヒターによる"RECOMPOSED"のシリーズ。オリジナルの25%を用いて、リコンポーズドされたヴィヴァルディの『四季』は、とにかく新鮮だった!聴き知った名作が、現代の感覚を以って、瑞々しく蘇る姿は、オリジナルとはまた違う、まさに拡張された感動があった。こういう旧作の大胆なアレンジ... まさにリコンポーズドが、クラシックを活気付ける要素になる気がする。そういう延長で、マッシュ・アップなんかも絶対におもしろいはず!
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クラシックを拡張する... 音楽史を振り返ってみると、けして新しくはない。というより、拡張の歴史が、音楽史であったとすら言える。で、何を用いて拡張したかと言えば、身近な音楽... フォークロワ!舞曲などは、特にそれが顕著で、国民楽派の登場を待たずして、民俗的な要素は、常に音楽を刺激していた。例えば、チャコーナ(=シャコンヌ)は、南米のダンスに由来し、テレマンなどは、中欧の民俗舞踊をガチで研究バルトークの先駆であったとすら言えそうな部分もある。ならば、21世紀、もう一度、フォークロワと向き合ってみるのも、新たな展開を創り出す鍵になりそうな気がする。そんな試みに積極的なのが、クロノス・クァルテット(ま、民俗音楽に限らず、ありとあらゆるものに興味を持ち、拡張し続けているのが彼らだけれど... )。オリエントメキシコ、様々な地域の音楽と向き合い、刺激的なコラヴォレーションを多く生み出す中で、アコーディオニスト、ポホヨネンと組んだ "UNIKO"は、凄かった!ハイパー・ワールド・ミュージック... そんな風に呼びたくなる、様々なエスニックが入り乱れての、21世紀流にクールに仕上げられた音楽。そこには、新しい時代のヒントがありそうな気がして来る。
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やはり、フォークロワを用いた音楽、三輪真弘の「東の唄」。タイトルの通り、東の唄、つまり日本の民謡を取り込んでいるのだけれど、単にメロディーを借りて来るのではなく、サンプリングして、それに合わせて、ピアノと、コンピューター制御のピアノが、音楽を織り成して行くという異色の作品。そう、この作品の肝は、テクノロジー!21世紀、量子コンピューターの完成が見えつつある?という時代の音楽は、やはり、そういう最新の技術を用いて編まれてしかるべき... とまでは行かなくとも、もっとテクノロジーに依存してみても良いように感じる。そうすることで生まれる新たな視点、感覚は、音楽の次なる扉を開く鍵になる気がする。ちなみに、「東の唄」は、コンピューターに作曲(制御された偶然性?)を任す部分もあって、AIの時代を先駆ける感覚もあるのか... で、この作品がおもしろいのは、テクノロジーを用いながらも、その音楽、けして無機質にはならないところ。素材としての民謡が、思いの外、スパイスを効かせ、飄々と音楽に表情を刻み込む。こういう捉われない在り方が、21世紀の現代音楽を強く意識させられるのだけれど、この作品、1992年の作品でして... いや、これこそ未来の音楽だった!改めて、凄い...
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テクノロジーを用いる音楽。というと、まず思い浮かぶのはIRCAMの存在... 1977年、ブーレーズが、パリに創設した、フランス国立音響音楽研究所(Institut de Recherche et Coordination Acoustique/Musique、略してIRCAM!)。で、そこに用意された最新鋭のテクノロジーを駆使し、現代音楽にひとつの潮流を生み出したのが、グリゼー、ミュライユら、スペクトル楽派の面々... 音を解析し、そこから音楽(あるいは音響... )を編み上げるという、それまでの作曲という行為を覆すアプローチは、独特な音楽世界を切り拓いた。もちろん、創設者、ブーレーズも、一連のテクノロジーを用い、様々な作品を生み出す。そうした経験を経て、まさに、新たな視点、感覚を得ただろう作品が、シュル・アンシーズ(1998)。ピアノ、ハープ、パーカッションからなるアンサンブルが、3つ並び、まるでインターネットでつながった3台のパソコンのようになって、音楽をやり取りし、変化させ、ひとつの作品を織り成して行く(そこには、「見る」おもしろさも... )。そうして生まれる、アコースティックだけれど、どことなしに漂うデジタルな雰囲気... 無駄の無いスマートな響きに、21世紀のスタイリッシュを見出す。
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そして、最後に取り上げるのは、ブーレーズの複雑さとは対極にあって、また極めて現代的な音楽、 ライリーの"in C"。1964年の作品だから、今や20世紀の古典とも言うべき作品だけれど、そこに体現されている語法は、プログラミングに通じるものがあって、改めて見つめると、凄い音楽であったことに気付かされる。ミニマル・ミュージックだけに、シンプルなフレーズが小気味良く繰り出される。そして、そのフレーズには、楽器の指定も、奏者の人数の指定も、一切無い。ただ、ライリーが作曲された53のフレーズを、各自、奏で、ひとつのアンサンブルを織り成すという、何ともざっくりとした作品。ざっくりとはしているのだけれど、それを成り立たせるブログラミングが、きちんと確立されているところに、この作品の凄さがある。そして、明瞭なプログラミングがあることで、誰でも参加できる、実にオープンな音楽でもある。そこに、ある種のソーシャル性を見出せて、まさに今どきなのかも... いや、これからは、こういう音楽が活路を拓いて行くような気がする。"in C"はともかく、聴くばかりでなく、体験でき得る音楽... つまり、それを可能とするプロクラミング(三輪さん、すでにこういうのやってるよね... )が求められる?

という5タイトル... 強引に選んでみました。しかし、新たな時代を大胆にシュミレーションするとか言っておいて、過去の作品を並べるという、本末転倒(汗... )。実際の、新しい時代、令和のクラシック2.0は、どんなものになるのか?いろいろ考えると、ワクワクして来ます。CDの全盛期があって、凋落があって、誰もが簡単に音楽を配信できるようになり、ライヴの重みが増した平成。そこから、次はどんな環境が生まれ、どんなクラシックの在り方が確立されて行くのか?どんな新しい音楽が響き出すのか?期待がありながらも、正直、不安の方が多いクラシック... いや、元気を取り戻して、輝いてくれることを、切に願うばかり!それにしても、"in C"って、半世紀以上前の作品なのだよね... ライリー、恐るべし...