音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ゴシック、大聖堂の外にて、民衆の聖歌、ラウダが響く!

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ロマネスク期、修道院にて、じっくりと育まれた聖歌が、ゴシック期、大聖堂という壮麗な場所を得て、教会音楽へと発展。中世の音楽のメイン・ストリームは、黄金期を迎えるわけだけとれど、大聖堂の外では、また新たなムーヴメントが起こっていた... というのが、13世紀のイタリア、大聖堂で歌われるラテン語の聖歌(特別な教育を受けた聖職者=エリートたちによる... )の対極とも言える、ラテン語を解さない市井の人々が歌える聖歌、ラウダのブーム!その起源については、はっきり解っていないものの、ゴシック期のカウンター・カルチャー、アッシジのフランチェスコが始めた托鉢修道会、聖フランチェスコ会の活動(修道院に閉じ籠るのではなく、清貧を以って民衆の中へと入っていき、布教の際には、みんなでラウダを歌った... )によって広まり、民衆の音楽として、熱狂的に受け入れられることに... その後、14世紀、トレチェント音楽(ゴシック期の音楽先進国、フランスの最新のポリフォニーの影響を受けつつ、後のイタリアの音楽を予兆するかのようにメロディーを重視した音楽... )とも共鳴し、音楽としても発展を始め、ルネサンス期には、フランドル楽派の巨匠たちも作曲するまでに...
ということで、ラウダに注目。古楽アンサンブル、ラ・レヴェルディによる、13世紀の年代記作者、ヤコブス・デ・ウォラネギが書いた聖者列伝、『黄金伝説』に基づくラウダを集めた、"Legenda Aurea"(ARCANA/A 304)。中世のフォーク・ブームを聴く。

 

"Legenda Aurea"、黄金伝説、というと、何だかギラギラしてそうなのだけれど、聴こえてくる歌声は、素朴の極み。大聖堂での洗練された教会音楽とは一線を画し、大地に根差した民衆の音楽というものをしっかりと意識させられる13世紀のラウダ(コルトナのラウダ集とフィレンツェのラウダ集から、11曲が取り上げられる... )。が、驚くべきは、何とも言えない懐かしさ!?始まりの、"Facciam laude a tuct' i sancti"は、まるで念仏踊りを思わせて... これって、ヨーロッパだよね?と、思わず疑ってしまうほどのユニークさ。ユルめの太鼓のリズムに乗って、諸聖人を讃える歌声は、どうしようもなく田舎っぽい... で、いいのか?となるのだけれど、そういう田舎っぽさに、一度、触れてしまえば、のんびりとした田んぼやら、鄙びたお寺の風景が浮かんできて、どうしようもなく懐かしくなってしまう。何、この感覚... 中世とか、ヨーロッパとか、そうしたことを、一切、忘れて、すっかり引き込まれて、懐かしくて、離れ難くなる音楽の不思議。歌の歴史を遡り、エリートたちのメイン・ストリームから民衆レベルへと下りていけば、人間の音楽性の根源が聴こえてくるのか?中世のイタリアと日本の懐かしい田舎がつながってしまうことに感慨を覚えずにいられない。一転、アッシジのフランチェスコを歌う、"Sia laudato San Francesco"(track.2)では、ヴィエール(中世フィドル)の伸びやかな響きに導かれて、イタリアらしい明朗さに包まれた牧歌的なメロディーが歌われ、風景は、穏やかなイタリアの丘陵地帯に変わる。いや、ちょっと一安心。なのだけれど、これもまた懐かしく感じられてしまうから、おもしろい。いや、この懐かしさを誘う感覚、ラウダの魔法?大聖堂を満たしたスペイシーな聖歌とはまったく異なるその表情、というより、空気感、実に興味深い。
そんな、"Legenda Aurea"の、稀有な空気感を生み出すラ・レヴェルディの歌と演奏が凄い!もちろん、素朴を極めているくらいだから、熱演というのではないものの、素朴の中にゾクッとくるような瑞々しさを籠めて、聴く者をグイっと引き込むただならなさがある。まず、何と言っても、彼らの歌声が魅力的。ベルカントなんて言葉が生まれるずっと昔のナチュラルを捉えるかのようなその歌声... いい具合に枯れていながら、中世の民衆の体温が感じられるような歌いには、切なくなってしまうようなしみじみさが漂い、そのしみじみが、実に心地好くあり、かつ、深く、癒される。癒されて、思い知らされる、21世紀を生きる者の耳と心の疲労感の半端無さ... で、歌うばかりでないのが、ラ・レヴェルディの凄いところ。全員が楽器を手に持ち、歌いながら演奏してしまい、その演奏が、また、魅力的!6曲目、器楽合奏用にアレンジされた"Novel canto - Sia laudato San Vito"(track.6)では、器楽アンサンブルとしてのラ・レヴェルディの力量を存分に発揮!一音一音、しっかりと掴み取るように奏で、手堅く、骨太なアンサンブルを織り成しながら、実にヴィヴィットなサウンドを発し、ハッとさせられるところも... 後半、音楽が一気にエモーショナルになれば、バロックのコンチェルトを思わせるほど、技巧的で力強く、魅了されずにいられない。で、忘れられないのが、11曲目、"Spiritu Sancto dolce amore"(track.10)。名手、シャーウィンが吹くコルネット!澄み切ったその音色は、古楽器であることを忘れてしまうほどの突き抜けた美しさを放ち、聴いていると、何だか吸い込まれそう(ラウダの田舎っぽさ、どこかに飛んで行ってしまう!)。
しかし、ラ・レヴェルディの器用さがあって、ラウダの多彩さは引き立つ!始まりばかりでなく、日本人として、妙に親近感を覚えてしまう節回しはあちこちから聴こえてきて... 3曲目、"San Domenico beato"(track.3)なんかは、ほとんど日本の民謡(三度目に小部屋がどーのと歌っている気がして... なわけないか... 空耳です... )かとツッコミ入れたくなってしまう。かと思えば、"Laudia' lli gloriosi martiri"(track.7)では、グレゴリオ聖歌を思わせる荘重さが響き、その後半では、大聖堂で歌うようなポリフォニーを施して、他とは一味違った存在感を見せる。とはいえ、みんなが歌えることこそが重要なラウダ。どのナンバーも、実にキャッチーで、一度、聴いたら、口ずさめそう。そんなメロディーは、1300年代の音楽、トレチェント音楽を予感させ、また、フランスの宮廷を彩ったトルヴェールたちの歌からの影響も語られるラウダだけに、そういう流麗さも端々から聴こえてきて、魅惑的。素朴な民衆の聖歌も、丁寧に聴けば、なかなか一筋縄にはいかない。エリートたちを横目に、様々な音楽に関心を示した民衆たちの目敏さ、柔軟さ、まったく侮れない。
LEGENDA AUREA
LA REVERDIE


Facciam laude a tuct' i sancti
Sia laudato San Francesco
San Domenico beato
Ciascun ke fede sente
Santa Agnese da Dio amata
Novel canto - Sia laudato San Vito
Laudia' lli gloriosi martiri
Pastor principe beato
Magdalena degna da laudare
Spiritu Sancto dolce amore
Benedicti e llaudati

ラ・レヴェルディ

ARCANA/A 304