音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ベルリオーズ、イタリアのハロルド、私小説としての交響曲。

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暑いですね。もうすぐ人体自然発火が報告されそうなくらい... だからでしょうか?近頃、あっちでもこっちでも炎上していて... というより、もはや炎上上等!対馬海峡のあちら側など、戦中の日本かと思うような国策民族主義で焚きつけて、本当に21世紀?と耳目を疑い... 名古屋城のお膝元では、「表現の自由」が、今や炎上主義を手段とするチャラさ... いや、そればかりでなく、アメリカで、ペルシャ湾で、世界各地で、次から次へと、これは花火大会なのかな?というくらいに炎が上がる。てか、炎上で、問題は解決する?世の中は前進する?冷静に考えれば解ることのはずが、そんなことはお構い無し、メディアはせっせとガソリンを注ぐことに余念無し... いや、いろいろな意味で酷暑です。そして、世界中で人々は熱中症です。もう、ぐったり... ではありますが、あるクラシックにおける炎上に注目。今年、没後150年を迎えるベルリオーズ。ローマ賞を受賞して、晴れて婚約!意気揚々とローマ留学へと向かったところに、婚約者の家から破談の手紙が届いて、炎上!
そんな記憶が籠められた作品?フランソワ・グザヴィエ・ロト率いる、レ・シエクルの演奏、タベア・ツィンマーマンのヴィオラで、ベルリオーズヴィオラの独奏付きという異色作、交響曲「イタリアのハロルド」(harmonia mundi/HMM 902634)を聴く。
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1827年、イギリスからやって来た『ハムレット』の舞台に接し、そこで、オフィーリアを演じた女優、ハリエット・スミスソンにどうしようもないほどの恋心を抱いてしまったベルリオーズ。その報われない想い... というより、執着を、そのままを交響曲に昇華させたのが、幻想交響曲。が、1830年、この異形の交響曲が完成する頃には、ベルリオーズの想いは、彗星のようにパリの音楽シーンに登場したピアニスト、モリー・モークへと移っているから、何ともうつりげ... そして、その年に、4度目の挑戦だったローマ賞をとうとう受賞!それから間もなく初演された幻想交響曲が大成功。という勢いに乗って、モリー・モークと婚約。ローマ賞によるローマ留学を終えたら、2人は結婚するはずだったが... 1831年、無事、ローマへと到着し、留学生活が始まったものの、どういうわけか婚約者からの便りが無い。ベルリオーズは不安に駆られ、パリへと戻ることを決意(イタリアから離れると、ローマ留学の資格が剥奪されてしまう!)。しかし、途中、フィレンツェで体調を崩したベルリオーズは、思い掛けない足止めを喰らう。そこに届いた、ローマから転送されて来たマリー・モークの母からの手紙。何と、マリーは、ピアノ製作メーカー、プレイエルの2代目社長に嫁いだとのこと... そして、炎上!ベルリオーズは、マリーの母と、マリー、その夫への復讐を果たすため、周到に準備する。まず、3人を殺害するための銃を用意し、復讐が果たされた後、自殺するためのアヘンも用意、さらには、3人に疑われずに近付くため、メイド用の服(つまり、女装!)まで用意して、いざ、パリを目指す!が、フランス国境を前に、冷静となるベルリオーズ... イタリアに踏み止まり、ニース(当時は、まだサルデーニャ王国領、フランスに編入されるのは、1860年... )で、一ヶ月ほど静養した後、ローマへと戻る。結局、2年の留学期間を早めに切り上げ、1832年に帰国したベルリオーズは、翌、1833年、パリで幻想交響曲を再演。その演奏に触れ、感激したパガニーニが、ベルリオーズに新作を委嘱。そうして1834年に作曲、初演されたのが、ここで聴く、ヴィオラの独奏付き、交響曲「イタリアのハロルド」(track.1-4)。
バイロン卿の長編詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』を題材としているものの、ハロルドは明らかにベルリオーズその人... で、そのイタリア留学での悲喜交々を交響曲に落とし込み、幻想交響曲同様、私小説的に綴りつつ、独奏のヴィオラ(パガニーニの演奏を想定... )=ハロルドを登場させることで、より芝居掛かった音楽を展開する。となると、ますます交響曲から遠ざかっているのだけれど、だからどうした、というのがベルリオーズ流... 一方で、その芝居を織り成す情景の瑞々しさは、水際立っていて、1楽章、オーケストラの仄暗い前奏を断ち切るように歌い上げる、ヴィオラが奏でる牧歌的なメロディー!イタリアらしい明朗さ、ヴァイオリンとは一味違う艶やかな表情に惹き込まれる。続く、2楽章(track.2)では、厳かながら、どこか夢見るような巡礼たちの行列が印象的に描かれ、3楽章(track.3)では、民俗舞踊を思わせる軽快なリズムに彩られ、人懐っこい表情を見せる。そして、まるで銃声のようなインパクトある一撃で始まる終楽章(track.4)、山賊の饗宴!幻想交響曲では、最後は魔女が締めてくれたが、「イタリアのハロルド」では、山賊である。で、魔女たちは、おどろおどろしさに統一感があったけれど、山賊たちはやりたい放題?より荒っぽく、だから、その音楽は錯綜するようで、目が回る。一方、フィナーレは、往年の西部劇のテーマでも聴くようなコテコテの盛り上がり!いやもう振れ幅が凄まじい... てか、ヤリ過ぎ?でもって、幻想交響曲以上にマッドなのかも... 様々なイメージが入り乱れて、今、改めて聴いてみると、何だか統合失調症っぽい。そうしたあたりに、女装してマリー・モークたちを殺そうとした火病の記憶が刻まれているのか?いや、この交響曲はヤバい... そのヤバさを認識すると、幻想交響曲以上に刺激的なものを感じてしまう。そういう点で、極めて現代的な交響曲なのかも... でもって、21世紀の炎上と共鳴するヤバさを見出す。
という、「イタリアのハロルド」を聴かせてくれる、ロト+レ・シエクル。いつもながら、ピリオドであることを忘れさせる縦横無尽のパフォーマンス!もちろん、ピリオドならではの表情も活かされ、その個性を以って、音楽を芯から息衝かせて、熱い!モダンならば、単に勢い任せでも温度は上げられるだろうけれど、ピリオドとなると、そうは行かない。レ・シエクルのメンバー、ひとりひとりの高度なテクニックに裏付けされた、より丁寧な演奏があってこそ、熱を帯びて行く「イタリアのハロルド」。それは、ただ熱いのではない、全ての瞬間に血が通い、発せられる熱っぽさ... そんな風に焚き付けるロトの指揮!音楽から、徹底して表情を引き出し、オーケストラの可能性が拡張されて行くような感覚すらある。そういう感覚があって、この交響曲のマッドさは、ますます高まって行き、惹き込まれ、テンションも上がる!今さらながらに、「イタリアのハロルド」って、おもしろい!となる。で、忘れてならないのが、タベア・ツィンマーマンのヴィオラ!でもって、ピリオドでも、見事な演奏を聴かせてくれます。というより、ピリオドならではの癖が、ヴィオラという楽器の魅力をより強調するところがあって、いつものタベアより、断然、魅惑的?「イタリアのハロルド」は、コンチェルトではないので、派手に聴かせるところは無いものの、なればこそ、ヴィオラの魅力がそこはかとなしに際立って、この交響曲に、熱さとは対極にある艶やかさを加えて、曲全体を揺さぶるかのよう。揺さぶられて、ますます輝きを増す、「イタリアのハロルド」、ベルリオーズ...
その後で、得も言えず、クール・ダウンしてくれるのが、ドゥグー(バリトン)の歌う『夏の夜』(track.5-10)。『夏の夜』というと、メッゾ・ソプラノで歌うのが一般的だけれど、バリトンの落ち着いた歌声で聴くのもまた素敵でして... ドゥグーのとても伸びやかで、まろやかな歌声は、ひとつひとつの詩を丁寧に歌い紡ぎ、下手にドラマティックな方向へ持って行くようなことをせず、歌曲ならではの魅力、ひとつの詩により完結する、ある種の刹那をきちんと表現し、印象的。そんなドゥグーをサポートするレ・シエクルの演奏が、また素敵でして... 「イタリアのハロルド」とはまた一味違い、深く、瑞々しく情景を描き上げ、叙情的なベルリオーズの側面を丁寧に響かせる。しかし、熱い「イタリアのハロルド」の後に、しっとり『夏の夜』というコントラストの絶妙!で、そのコントラストを最大限に活かし、ベルリオーズの魅力の幅を存分に聴かせるロトの手腕に脱帽。マッドかつ、最高にロマンティックで、リリカル... そうして眩惑され、聴き手を夢現に誘う。
Harold En Italie - Les Nuits D'Été Les Siècles François-Xavier Roth

ベルリオーズ : 交響曲 「イタリアのハロルド」 *
ベルリオーズ : 歌曲集 『夏の夜』 *

タベア・ツィンマーマン(ヴィオラ) *
ステファヌ・ドゥグー(バリトン) *
フランソワ・グザヴィエ・ロト/レ・シエクル

harmonia mundi/HMM 902634