音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ロマンティックから自由になる、ゲルネが歌うシューベルト...

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突然ですが、9月4日は、クラシックの日!なのだそうです。九ら四っくなんですって... って、縁起が悪そうな数字が並んでいるのは、死に逝くクラシックを暗示させているのでしょうか?笑えねぇ... と言うより、こじ付け過ぎッ!ということで、クラシック・ファンが考える、クラシックの日って、いつだろう?音楽の父、バッハの誕生日(1685年、3月31日)とか、神童、モーツァルトの誕生日(1756年、1月27日)とか、楽聖ベートーヴェンの誕生日(1770年、12月16日?)、あるいは、ジャジャジャジャーン!「運命」の初演の日(1808年、12月22日)、おお、フロイデ!第九の初演の日(1824年、5月7日)、ちょっと視点を変えて、クラシックのアイコン、名門、ウィーン・フィルの最初のコンサートの日(1842年、3月28日)なんても、アリかなと... けど、一番、無難なのは、シーズンが開幕する日かなと... もちろん、各オペラハウス、各オーケストラで、開幕日はバラバラだけれど、ひとつ、目安として、秋の入口、9月1日なんかを、クラシックの開幕の日、クラシックの日、としてしまうと、巧く芸術の秋の波に乗れそうな気がするのだよね。ま、近頃の9月は、あまり秋めいていないのだけれど...
ということで、秋を求めて、しっとり、リート(というのも、こじ付けっぽいのだけれどね... )。マティアス・ゲルネ(バリトン)による、シューベルトの歌曲のシリーズ、"MATTHIAS GOERNE SCHUBERT EDITION"から、Vol.7、「魔王」、「ます」の定番というか鉄板を含む19曲(harmonia mundi/HMC 902141)を、アンドレアス・ヘフリガー(ピアノ)の伴奏で聴く。
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1曲目が、「夕映えの中に」で... ピアノが静かに鳴り出した瞬間から、秋。いや、あの酷暑の、炎上の日々の殺気立った精神状態を、やさしく、ただただひたすらにやさしく癒してくれる。という「夕映えの中に」は、窓辺から望む美しい夕焼け... 差し込む金色の輝きに神を見出し、深い感慨が去来する。という、ラッペの詩を淡々と歌う作品。が、そこから喚起されるイメージの何と豊かなこと!夕暮れ時の静けさと、物寂しさと、太陽が傾いてこそ生まれる、あのキラキラとした輝きと、それに包まれて覚える何とも言い難い感動の全てを、穏やかにひとつの音楽として描き出す。それは、わずか4分強という短い作品ながら、驚くほど瑞々しい情景、心象が表現されていて、まるで、美しいミュージック・ビデオを見るようにヴィヴィット。このヴィヴィットさに、シューベルトの若さを感じる。若いからこその瑞々しい感性... いや、シューベルトの歌曲というと、どこか渋いイメージがあって、オペラとは対極的に、より文学的(ゲーテやシラーといった名立たる大家たちの詩を作曲しているだけに... )で、アカデミックに捉えられて、堅苦しさすら覚えることがあるのだけれど、丁寧にその音楽と向き合うと、かえってオペラよりも現代的な感覚を見出せる気がする。31歳で逝ったシューベルトだからこその、若いままの感覚... 若さは、時代を超越する?今、改めてシューベルトの歌曲を聴いてみると、何か、現代っ子感覚に通じるものを見出せる気がする。一方で、シンプルなメロディーを、淡々と歌いながらも、最小限の響きで、余韻を以って、瑞々しい情景と、繊細な心の機微を、確かな音楽に仕立て上げる作曲家としての腕は、熟練そのもの。若さと熟練... いやー、シューベルトは、まったく以って希有な才能だ。今、改めて、その歌曲に触れてみると、震撼させられさえする。
さて、"MATTHIAS GOERNE SCHUBERT EDITION"、Vol.7。「夕映えの中に」に続いて、「さすらい人」(track.2)、「夜咲きすみれ」(track.3)と、センチメンタルなナンバーが並び、その後で、「森にて」(track.4)、「ノルマンの歌」(track.5)と、力強くリズムが刻まれる、荒々しいナンバーがあって、ちょっとおどろおどろしい「精霊の踊り」(track.6)が、スパイスを効かせると、どこか労働歌っぽい「宝掘りの願い」(track.7)、流行歌のようにキャッチーな「月に寄せて」(track.8)と、実に多彩!そう、シューベルトの歌曲の全体像を改めて捉えれば、まさに多彩... で、そのあたりもまた、若さなのかも... 型にはまらず、自由に詩の世界を表現する。お馴染み、「魔王」(track.9)を、久々に聴いてみれば、まるでオペラのワン・シーン!他のナンバーには無い濃いドラマ性と、そこから生まれる緊張感は際立っていて、同じく歌曲としてまとめてしまって良いものかとすら思うほど... それほどに自由なシューベルトの歌曲の世界。「夕映えの中に」から、「魔王」まで、シューベルトの歌曲との向き合い方は、何とも天真爛漫だなと... そこに取り留めの無さも感じるのだけれど、裏を返せば、それは作為の無さでもあって、シューベルトのピュアな心根が表れているようにも思う。なればこその不器用な音楽人生であって、才能がある分、活かし切れなかったダメっぷりが、もどかしくもあるのだけれど... もどかしいほどのピュアが源となって生まれる瑞々しさは、突き抜けている!そして、「魔王」(track.9)、「ます」(track.13)といった鉄板を含む、総花的なVol.7だからこそ、強調されるピュアなシューベルト像もあるのかなと、感慨...
そんなシューベルトを卒なく歌い、それでいて、強く魅了して来るゲルネの歌声!クリアかつしっとりとしたバリトンは、もはや希有。常に明朗でありながら、翳を纏うべきは、きちんと纏う。この感覚が不思議... いや、どこか人間離れさえしている。豊かな表情を見せながらも、絶対に過剰にならず、徹底して音楽的な透明感を維持し、常に澄んでいて、吸い込まれそうな音楽世界を創出。だから、さり気ないナンバーであっても、驚くほど大きな世界が広がるようで... ゲルネのシューベルトの魅力は、なかなかおもしろい効果を生むニュートラルさ... 例えば、「魔王」(track.9)。時としてエキセントリック(小学校で体験する、おっとーさぁん、おとーさん!みたいな... )にすら感じられるエモいあたりを、冷静に捉えて、最低限の表情付けで、かえってシーンの立体感を構築。こども騙しではない怖さを着実に織り成して来る。これは、なかなか大胆なのかもしれない。ドイツ・リートとは、ドイツ・ロマン主義とは、という、定石から自由になって、自身の感性を信じて、ひとつひとつのナンバーを歌う。そういう姿勢が、ピュアなシューベルトの精神に共鳴し、よりその魅力を引き立てる。
で、忘れてならないのが、ヘフリガーのピアノ!"MATTHIAS GOERNE SCHUBERT EDITION"では、ヴォリュームごとにピアニストが変えられているのだけれど... 普通、伴奏者は変えたがらないものじゃない?というあたりに、ゲルネの捉われ無さ、ニュートラルさをまた見出す。いや、ピアニストの性格すら、自らの音楽性の触媒としようとする貪欲さ?それぞれのヴォリュームに最適な才能を用いるゲルネのフレキシビリティに、ちょっと感動してしまう。そして、Vol.7を担当するヘフリガー... 1曲目、「夕映えの中に」の最初の響きを耳にした時から、その癖の無い澄んだタッチに惹き込まれる!まさに、このヘフリガーのタッチがあって生まれる瑞々しさが間違いなくある!Vol.7は、夕陽に月、森や川と、自然の中で歌われるナンバーを集めて、ひとつ大きな風景を創り出すのだけれど、ヘフリガーのピアノのナチュラルさが、自然の表情をより清廉なものとし、ゲルネの歌声に寄り添い、自然のナチュラルさを響かせる。すると、ゲルネの歌う詩は、大気に解き放たれ、音は大気となり聴く者を包む... 嗚呼、何と言う自然!魅了されずにいられない。
MATTHIAS GOERNE SCHUBERT EDITION Vol.7

シューベルト : 夕映えの中に D.799
シューベルト : さすらい人 D.493
シューベルト : 夜咲きすみれ D.752
シューベルト : 森にて D.834
シューベルト : ノルマンの歌 D.846
シューベルト : 精霊の踊り D.116
シューベルト : 宝堀り人の願い D.761
シューベルト : 月に寄せて D.259
シューベルト : 魔王 D.328
シューベルト : 湖のほとりで D.746
シューベルト : アリンデ D.904
シューベルト : 反映 D.949
シューベルト : 鱒 D.550
シューベルト : 流れ D.693
シューベルト : 夕焼け D.690
シューベルト : 嘆き D.415
シューベルト : 川 D.565
シューベルト : 漁夫の歌 D.881
シューベルト : ブルックの丘にて D.853

マティアス・ゲルネ(バリトン)
アンドレアス・ヘフリガー(ピアノ)

harmonia mundi/HMC 902141