音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ファウスティーナ、ヴェネツィアのプリマ、ナポリへの旅、

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ピエタのスター、キアラに、アカデミーのアイドル、バルバラ・ストロッツィ... バロック期のヴェネツィアの音楽シーンを紐解いてみると、思いの外、女性たちが躍動していたことに驚かされる。もちろん、ヴェネツィアという都市が、特別、女性に開放的だったわけではない。が、オスペダーレ=慈善院によるコンサートが象徴するように、より積極的に女性が音楽に参画する場が存在していたことは、他の都市や宮廷には無い空気を生み出していたかもしれない。そうした空気があって、さらに女性の活躍を引き出し、ヴェネツィアの音楽シーンは、より花やいだものとなっただろう。バロック期、ヴェネツィアが、ヨーロッパ切っての音楽都市へと成長した背景には、そうした女性の力もあったかもしれない。男性ばかりでなく、女性の感性が加わって、より豊かな音楽シーンを繰り出したヴェネツィア... その姿は、現代日本にも、某かの示唆を与えてくれる気がする。ということで、もうひとり、ヴェネツィア出身の女性音楽家に注目してみる。ヴェネツィア楽派に育てられ、ナポリ楽派の巨匠たち、さらにはヘンデルとも仕事をし、やがて、ハッセに嫁いだプリマ・ドンナ、ファウスティーナ・ボルドーニ!
アントニオ・フローリオ率いるイ・トゥルキニの演奏で、ロベルタ・インヴェルニッツィ(ソプラノ)が、ファウスティーナの歌ったロールを巡るアリア集、"I Viaggi di Faustina"(GLOSSA/GCD 922606)。キアラ、バルバラに続いて、ファウスティーナを聴く。
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1697年、ヴェネツィアで生まれたファウスティーナは、ヴェネツィア貴族、アレッサンドロ(「ベニスの愛」でお馴染み... とか言うのは、もう古いか?)と、ベネデット(『当世流行劇場』でヴィヴァルディをディスったことで有名な... )のマルチェッロ兄弟の保護下で育つ。ということは、ファウスティーナは、アレッサンドロか、ベネデット、どちらかの娘だったのかもしれない。つまり、バルバラ・ストロッツィと同じケース... いろいろ相続の問題で結婚ができなかったヴェネツィア貴族階級ならではの未婚の子?マルチェッロ兄弟により、貴族の令嬢としてきちんと躾けられ(これが、後に、皇帝や選帝侯の前に出しても恥ずかしく無い上品さをファウスティーナにもたらした... )、高度な教育を施され、さらに、ベネデットの師、ガスパリーニ(かのヴィヴァルディがコンチェルト長を務めていたピエタ慈善院付属音楽院の合唱長を務めていた!)に師事し、声楽を学ぶ。そして、1716年、ヴェネツィアを拠点に活躍した巨匠、ポッラローロの『アリオダンテ』でデビュー。以後、ロッティやアルビノーニら、ヴェネツィア楽派の巨匠たち、師、ガスパリーニの舞台に立ち、ヴェネツィアを代表するプリマに!1720年代に入ると、ヴェネツィアの外でも活躍を始め、1722年には、ナポリ楽派の作曲家の舞台にも立ち、煩型のナポリをも魅了。1723年には、本格的にアルプス以北にも進出、ミュンヒェンでの成功を皮切りに、1725年には、ウィーンへ!皇帝一家から称賛を受け、まだ幼かったマリア・テレジアとデュエットしたのだとか... そんな逸材を、ヨーロッパ切っての国際音楽マーケット、ロンドンが放っておかず、1726年、ロンドンへと渡ったファウスティーナ... ヘンデルの『アレッサンドロ』でデビューし、同じくヴェネツィアで活躍していたクッツォーニ(ソプラノ)、セネジーノ(カストラート)らスターたちと舞台に立ち、大人気に!が、クッツォーニボルドーニ、2人のプリマは人気を二分し、何かと対立... 挙句、ファンたちの対立の煽りを喰らって、1727年、とうとう舞台上で取っ組み合いの大喧嘩!悪いことは続くもので、翌年には、バラッド・オペラが一大旋風を巻き起こすと、イタリア・オペラは脇に追いやられ、ファウスティーナはイタリアへと帰国。再びヴェネツィアで歌い始めるのだけれど、そこにいたのが、ナポリ楽派の新世代、ハッセ(1699-1783)!1730年、2人は結婚、ハッセがザクセン選帝侯のドレスデンの宮廷に招かれると、1731年、2人してドレスデンへ。ファウスティーナは夫の舞台に立ち大成功!1739年、夫妻はドレスデンに腰を落ち着け、長らくドレスデンの音楽シーンに君臨し続けたが、1763年、ザクセン選帝侯が代替わりし、音楽予算が大幅に削減される事態にとなると、帝都、ウィーンへ... マリア・テレジアのお気に入りとして宮廷で幅を効かせた後、1773年、故郷、ヴェネツィアへ... ファウスティーナは、穏やかな晩年を過ごし、1781年、84歳の大往生を遂げる。
そんなファウスティーナのイタリア・ツアーに注目するのが、ここで聴く"I Viaggi di Faustina(ファウスティーナの旅)"。ロンドンに渡る前、1720年代と、帰国後、1730年代、ファウスティーナが、トリノパルマナポリで歌ったオペラからのアリアが並べられているのだけれど、どれもナポリ楽派のオペラ... ヴェネツィアの外で歌われたものとはいえ、ヴェネツィア楽派がすでに押されていたことを示すようで、ヴェネツィアが生んだプリマ、ファウスティーナのためのナンバーとしては、ちょっと寂しい印象もあるのだけれど、ファウスティーナの声には、ナポリ楽派の音楽がより合っていたのかも... 1曲目、ポルポラの『ポーロ』のアリアの、派手さこそ無いものの、確かなメロディー(ナポリ楽派ならではのキャッチーさも窺わせる... )を紡ぎつつ、絶妙にコロラトゥーラで装飾される音楽を聴いていると、ファウスティーナの底堅さが聴こえて来るようで、なかなか興味深い。一転、2曲目、ヴィンチの『カミッラの勝利』(track.2)のアリアでは、ナポリ楽派ならではの花火が上がるようなコロラトゥーラに彩られ、ヨーロッパを魅了したプリマ、ファウスティーナの華麗さが蘇るようで、魅了されずにいられない。3曲目、マンチーニの『トライアーノ』のアリアでは、ナポリ楽派ならではの流麗なメロディーがしっとりとした趣きを創り出し、惹き込まれる。またそうしたアリアの数々を聴いていると、ファウスティーナの歌声が感じられるようで... 彼女の舞台に接した人たちの残した記録によれば、まず精確に音符を捉えることが指摘され、器用であったことが伝えられている。そして、聴き取り易い明瞭な歌声、息の長さでも聴衆の心を捉えていたようで、そうした技術の上に演技もまたすばらしかったとのこと... このアリア集に並ぶ、クリアかつ、表情に富んだナンバーを丁寧になぞれば、ファウスティーナの姿は現代に蘇るのかもしれない。そして、それを可能とする、インヴェルニッツィ!
けして簡単ではないアリアだけれど、ひとつひとつのナンバーを丁寧に、かつ見事に歌い上げるインヴェルニッツィ!その上品な歌声を活かしつつ、自らを前面に押し出すのではなく、少し引いてスコアを捉えるようで... ファウスティーナのために当て書きされたアリアから、その姿を掘り起こすような姿勢が感じられ、とても印象的。なればこそ、18世紀、ヨーロッパ中を虜にしたファウスティーナの歌声を追体験... 魅惑されずにいられない。そんな、インヴェルニッツィを、絶妙なバランスでサポートするフローリオ+イ・トゥルキニの演奏もすばらしく... 少数精鋭ならではの粒立ちの良い音色と、表情の豊かさに魅了されずにいられない。また、ポルポラの『アグリッピナ』のシンフォニア(track.4)、マンチーニの『トライアーノ』のシンフォニア(track.8)、さらに、サッロのフルートと弦楽のための協奏曲(track.12)が取り上げられ、インヴェルニッツィの歌の合間に、アリアとは違う花やぎを聴かせてくれて、アクセントに... フルートと弦楽のための協奏曲(track.12)では、ロッシのリコーダーが、何とも言えず素朴な味わいを醸し出し、インヴェルニッツィの花やかさとは好対照で、これも聴き所。いや、ファウスティーナというひとりのプリマにフィーチャーしながら、ファウスティーナの時代、ナポリ楽派上げ潮の時代を活き活きと描き出し、アリア集以上のパノラマを見せてくれる。
I Viaggi di Faustina Roberta Invernizzi I Turchini / Antonio Florio

ポルポラ : オペラ 『ポーロ』 より 「私もまた愛の囚人です」
ヴィンチ : オペラ 『カミッラの勝利』 より 「この王座から降り」
マンチーニ : オペラ 『トライアーノ』 より 「愛しいナイチンゲールは歌い、言います」
ポルポラ : オペラ 『アグリッピナ』 より シンフォニア
ヴィンチ : オペラ 『ウティカのカトーネ』 より 「混乱し、我を忘れ」
ヴィンチ : オペラ 『カミッラの勝利』 より 「ただ一つのまなざしで」
ポルポラ : オペラ 『ポーロ』 より 「希望の親しげな光が」
マンチーニ : オペラ 『トライアーノ』 より シンフォニア
サッロ : オペラ 『パルテノペ』 より 「キジバトは恋人を」
ヴィンチ : オペラ 『ウティカのカトーネ』 より 「あなたを軽蔑で脅したりはしません」
ヴィンチ : カンタータ 『私は出発します。でもその胸中は』 より 「これで私は出発します」、「海に戻る小川のように」
サッロ : フルートと弦楽のための協奏曲 *
マンチーニ : オペラ 『トライアーノ』 より 「希望をお持ちください、ええ、愛しい人よ」
アントニオ・マリオ・ボノンチーニ : オペラ 『ダニアのロジクレア』 より 「ほんの一瞬だけ」

ロベルタ・インヴェルニッツィ(ソプラノ)
トム・ロッシ(リコーダー) *
アントニオ・フローリオ/イ・トゥルキニ

GLOSSA/GCD 922606