音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ヴィヴァルディ、最後のオペラ、『ウティカのカトーネ』。

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音楽における「バロック」は、オペラ誕生に始まる。だから、音楽におけるバロック期とは、そのままオペラ成長の歩みでもあって... フィレンツェでの誕生マントヴァでの実験、ローマへの移植、そして、ヴェネツィアでの大ブレイク!17世紀、ヨチヨチ歩きから、自我を形成し、18世紀を迎える頃には、麗しい乙女に、あるいは、意外とヤンチャな青年へと成長するわけだ。そんなバロック・オペラも、やがて、大人に... 次なる時代へと歩みを進めて行く。それを促したのが、遅れてやって来たナポリ楽派!18世紀、ナポリは、ヴェネツィアに取って代わって、オペラの新たな首都となる。そして、そのゲーム・チェンジを、ヴェネツィアの側からつぶさに見つめ、ナポリ楽派に押されながらも奮闘したのが、ヴィヴァルディ!ナポリ楽派が新時代の黎明ならば、ヴェネツィア楽派、最後の輝き、ヴィヴァルディのオペラは、ある意味、それまでの時代の集大成だったように思う。
ということで、naïve名物、"VIVALDI EDITION"から、アラン・カーティス率いるイル・コンプレッソ・バロッコの演奏、トピ・レーティプー(テノール)のタイトルロールで、ヴィヴァルディの最後のオペラとされる、オペラ『ウティカのカトーネ』(naïve/OP 30545)を聴く。
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ピエタ慈善院音楽院のコンチェルト長(器楽部門のトップ!)を務め、ピエタのオーケストラ、"フィーリエ"のために、多くの作品を作曲したヴィヴァルディ(1678-1741)は、まず器楽曲の作曲家として成功する。そこから、オペラの世界へと踏み出したのが、1713年、35歳の時... 最初のオペラは、ヴィチェンツァ(ヴェネツィアから北西に70Kmほど行ったヴェネツィア共和国領の都市... )で上演された『離宮のオットーネ』。その翌年には、満を持してのヴェネツィアでのデビュー!が、結果は芳しいものではなく、オペラ作家としては、少しの間、苦戦が続いたヴィヴァルディだったが、そのオペラは次第に人気を集め、1720年に出版されたベネデット・マルチェッロ(1686-1739)による当時のオペラ・シーンを風刺する冊子、『当世流行劇場』では、いろいろディスられるほどに一世を風靡!では、ベネデットは、なぜにディスったのか?もちろん、妬みもあったかもしれない... が、最大の理由は、ヴェネツィア楽派の伝統を重んじるベネデットにとって、ヴィヴァルディのオペラは伝統を揺るがすモダンな作品に映ったようで、そのあたりがまたヴェネツィアっ子たちに受けて、ディスらずにいられなかったよう。そう、ヴィヴァルディのオペラは革新だった!数々のコンチェルトで見せるスリリングな展開、息を呑むようなゾクっと来るメロディーを、あられもないほどに物語に落とし込むヴィヴァルディのオペラは、バロック期に在っても古典的な感性を大切にして来たヴェネツィア楽派の面々からは危険視されたのだろう。が、流行とはうつろい易いもの。ヴィヴァルディのオペラは、やがてヴェネツィア共和国の外にも広がり、ローマやミラノ、さらにはプラハでも上演されるに至るのだったが、肝心のヴェネツィアでは次第にナポリ楽派に取って代わられ、居場所を失ってしまう、ヴィヴァルディ... 1735年、ヴェローナ(ヴェネツィア共和国のテッラ・フェルマ、大陸領の中心都市... )で上演されたパスティッチョ(様々なオペラのアリアなどを寄せ集めて、新たなオペラを創り出す... )、『バジャゼット』では、ナポリ楽派のナンバーをふんだんに盛り込み、自作の音楽と対峙させ、かつての革新の斜陽を自嘲的に表現。さらには、その対峙そのものを、物語の構図に見事に落とし込むという離れ業!かえって作曲家としての懐の大きさ、センスを見せ付けて来るから、ヴィヴァルディ、恐るべし!という『バジャゼット』の2年後、1737年に、同じくヴェローナで上演されたのが、ここで聴く、『ウティカのカトーネ』。それは、自らの音楽のみによって構成された最後のオペラ...
古代ローマ、共和政末期、機能不全に陥った共和政から、独裁制へと移行しようと野心を見せるユリウス・カエサル(=チェーザレ)に対し、共和政を守ろうとする清廉潔白な元老院議員、小カトー(=カトーネ)の対立の最終局面を描くオペセ・セリアは、カトーネの娘、マルツィアが、チェーザレに恋し、チェーザレもまた、人々から尊敬を集める、ウティカに立て籠もったカトーネを何とか救おうと奔走するという、一筋縄には行かない物語を展開(典型的なオペラ・セリアですね... )。で、歴史では、自害して果てる小カトーなのだけれど、清廉潔白なカトーネは人気キャラであり、何よりヴェネツィア共和国として、共和政の守り人の自害で終わるのはちょっと... ということで、最後は大団円が用意されている(典型的なバロック・オペラですね... )。そんな『ウティカのカトーネ』、どうも、1幕は、旧作からのパスティッチョだったらしく、現在、その1幕のスコアは失われてしまっている。ここで聴く全曲録音は、ヴァイオリニスト、アレッサンドロ・チッコリーニが、改めて『ウティカのカトーネ』以前のヴィヴァルディの様々なオペラからアリアを集めて来て、パスティッチョとして復元したもの。だから、1幕(disc.1)と、2幕(disc.2)、3幕(disc.3)で、ちょっと雰囲気が変わるのか... 過去の栄光=革新を呼び覚ます1幕(disc.1)のパスティッチョに対し、それを経て、丸くなった音楽(ナポリ楽派の影響もあるような... )を聴かせる2幕(disc.2)、3幕(disc.3)。このコントラストがなかなか興味深い。かつてはヤンチャだったヴィヴァルディの音楽にも洗練が窺えて、時代のうつろいがひとつのオペラに表れているのが印象的... それがまた、戦争モードの1幕(disc.1)の後で、戦争の裏にある苦悩、複雑な人間関係をすくい上げる2幕(disc.2)、3幕(disc.3)において、洗練からのより深い音楽を紡ぎ出され、そらに印象的... ヴィヴァルディによる1幕のパスティッチョが実際はどうであったかはわからないものの、1幕がパスティッチョであるからこそ映える2幕(disc.2)、3幕(disc.3)でもあるように思えて来る。
という、なかなか難しいオペラを、的確に蘇らせるカーティス+イル・コンプレッソ・バロッコの演奏、すばらしいです。下手に劇的に盛り上げるのではなく、しっかりとスコアを捉えて生まれる説得力。カーティスらしい手堅さが、かえって『ウティカのカトーネ』の音楽のおもしろさを引き出す。1幕と、それ以降のコントラストをそこはかとなしに際立たせ、ドラマに立体感を生み、典型的なオペラ・セリア、典型的なバロック・オペラに、実直な推進力をもたらす。それは、まさに、カトーネのキャラそのもののよう... そんな演奏に乗って、カトーネを歌うレーティプー(テノール)を筆頭に、すばらしい歌声を聴かせてくれる歌手たち!特に、チェーザレへの復讐を誓うポンペイウスの未亡人、エミリアを歌うハレンベリ(メッゾ・ソプラノ)の上品にして、策士っぷりが見事で、聴き入ってしまう。2幕の幕切れのアリア(disc.2, track.14)や、3幕のアリア(disc.3, track.6)なんて、圧巻のコロラトゥーラと、力強さを持った華々しさに魅了されずにいられない。そんな歌手たちのパフォーマンスがあって、全てのナンバーが表情に富み、輝き、今さらながらに、オペラ作家、ヴィヴァルディの仕事に感心させられる。結局、ナポリ楽派には負けたかもしれないが、自らの革新を、もう一段、進化させて、まだまだオペラに挑もうとした貪欲とも言える姿勢は凄い。結果的に『ウティカのカトーネ』は、最後のオペラ(この作品の後も、いくつかパスティッチョを手掛けている... )となってしまったわけだけれど、イタリアの他に活躍の場を見出せていたならば、また新たな展開があったかもしれない... そんなことを思わせてくれる音楽だった。
Vivaldi Catone in Utica

ヴィヴァルディ : オペラ 『ウティカのカトーネ』 RV.705 〔アレッサンドロ・チッコリーニによる復元版〕

カトーネ : トピ・レーティプー(テノール)
チェーザレ : ロベルタ・マメーリ(ソプラノ)
エミリア : アン・ハレンベリ(メッゾ・ソプラノ)
マルツィア : ソニア・プリナ(コントラルト)
フルヴィオ : ロミーナ・バッソ(メッゾ・ソプラノ)
アルバーチェ : エメケ・バラート(ソプラノ)

アラン・カーティス/イル・コンプレッソ・バロッコ

naïve/OP 30545