音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

フランス、啓蒙主義は飾らない、自然に帰る音楽のシンプル...

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過渡期には、古いものと新しいものが対立する。が、やがて新しいものへと収斂され、前進する。近頃、あちこちでバチバチやっている、新旧の喧嘩、それに伴う炎上... あれを絶え間なく見せられていると、本当に疲弊します。けれど、これもまた、時代が前進するためのものなのだと、何とか呑み込まねばならないのですよね。わかっております。が、しかし、過渡期って、ツレーぇっ!こういうの、いつまで続くんだよ?はぁ~ ため息... は、さて置きまして、過渡期も歴史となってしまうと、俄然、興味深いものとなります。例えば、18世紀、フランス音楽における過渡期... そのターニング・ポイントとなったのが、ブフォン論争(1752年、ペルゴレージインテルメッツォ『奥様女中』のパリ、オペラ座での上演に始まる... )。旧来のバロックと新たな古典主義がぶつかり合うわけだけれど、古典主義は、その名の通り、古典的でアルカイック... つまり古いものが新しいという、アベコベ。さらにさらに、ブフォン論争で古いと糾弾されたバロックも、その後、新しいものとしてリヴァイヴァルされ、アベコベはさらなるアベコベを呼び、目まぐるしくて眩暈を起こしそう。けど、間違いなく、刺激的なのだよね...
ということで、古典主義の時代を切り拓く、バロックに喧嘩を吹っ掛けた啓蒙主義に注目!ベリト・ノルバッケン・ゾルセット(ソプラノ)の歌、マッティン・ヴォールベルク率いるトロンハイムバロックの演奏で、フランス、18世紀後半、啓蒙主義文学にリンクしたシャンソン=歌曲を、サロンの雰囲気でまとめた1枚、"Le roman des lumières"(K617/K617 240)を聴く。
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始まりは、グレトリのオペラ・コミック『ゼミールとアゾール』(1771)からのエール「ほおじろのように」... まず、古典主義の時代をしっかりと意識させる麗しい音楽に魅了されずにいられない。ブフォン論争を経ての、より歌うことが意識されたエールは、音楽としての悦びに充ち満ちていて、ラモーのエールと比べれば、新しい時代の到来がはっきりと示される。これが、古典主義/啓蒙主義の時代のフランス・オペラの新しい形... ダ・カーポ・アリアの形を採って、イタリア風であることを厭わず、より音楽としての体裁が整えられるわけだ。が、フランスらしい芳しさも失われていないのが、大いなる魅力!その芳しさを生み出すのが、ヴァイオリン2挺に、ヴィオラ、チェロ、フルート、ハープ、ギター/テオルボからなる、繊細にして美しい響きを綾なすアンサンブル... 劇場での堂々たるエールとは違う、サロン風の室内的な規模に落とし込んで漂い出す、啓蒙主義の時代の気分。気心の知れた仲間たちのみが集うサロンの気安さに、新しい時代の表情が表れる。で、グレトリのオペラ・コミックに続くナンバーは、啓蒙主義文学にリンクしたシャンソンが続き、さらに、さらに気安さは広がり、肩の力の抜けたナチュラルなメロディーが聴く者を癒す。いや、啓蒙主義の時代というと、やがて革命へと導く、18世紀の意識高い系な人々の気難しいイメージを漠然と抱いてしまうのだけれど、歴史を丁寧に紐解けば、気難しいのはバロックの人々であって、啓蒙主義の人々は「自然に帰れ」のナチュラル志向。権威主義バロックに対して、ある種、ヒッピーっぽさすらあるのかもしれない。その解き放たれる感覚... グレトリのオペラ・コミックは、オペラだから、しっかりとした形があるものの、シャンソンは歌うことに率直で、伝統のトラジェディ・リリクのように詩に縛られることなく、新しいイタリア風の形を捉われることすらなく、あるがまま... その飾らなさに、歌における「自然に帰れ」を感じる。
そんなシャンソンの1曲目、マイエルの「ロジエ、ロジエ」(track.2)... 自然に帰って飾らない音楽は、一度、聴けば、覚えてしまいそうなメロディーが繰り返され、シンプルを極める。が、シンプルなればこその表出力は、なかなかのもので、得も言えず切なげな表情を湛え、惹き込まれる。また、フランソワ・アンドレ・ダニカン・フィリドールの「あの娘はどこに」(track.4)や、ダレラックの「アリーヌのロマンス」(track.11)の、どこか古謡を思わせる長閑さは、歌の原初へと還るようで、アルカイック... で、フランスにおけるアルカイックは、見事に浮世離れしていて、文字通り、アルカディア=楽園の歌を思わせる。劇場的で、激情的なバロックに喧嘩を売った啓蒙主義は、自然ばかりでなく、古典世界をも目指す?古典的な純粋さを湛える、フランソワ・アンドレ・ダニカン・フィリドール、ダレラックによるシャンソンは、日常から遠く離れた美しさを響かせ、聴き入ってしまうと、吸い込まれそうなほど... さて、"Le roman des lumières"で取り上げられるナンバーは、文学から派生したシャンソン。ということで、そうした香りを漂わすものも... ドヴィエンヌによる、フロリアンの小説『コルドバのゴンサルベ』(1791)に基づくロマンセから、「ペドロの歌」(track.3)と、「死の讃歌」(track.9)では、詩と真摯に向き合う姿勢が感じられ、シューベルトを予感させる?もちろん、19世紀のドイツ・リートのような重みには遠く及ばないのだけれど、メランコリックな表情に差す翳は、ロマン主義への序奏のようで、印象的。一転、デュクレイ・デュメニルの「小さなマルモ」(track.12)では、楽しげに飛び跳ねるようなリズムを刻んで、ニワトリが鳴いたりと、ユーモラス!てか、『おかあさんといっしょ』から聴こえて来そうなのよ... いや、思いの外、幅が広いな、啓蒙主義...
という、多彩な歌に彩られた"Le roman des lumières"。歌うのは、ノルウェーのソプラノ、ゾルセット。その歌声は上品で、古典主義の時代にぴったりなふんわりとしたソプラノ。トロンハイムバロックのコンパクトなアンサンブルに囲まれると、まさにサロンの花といったイメージ... それでいて、意外と押し出しの強さもあり、繊細なナンバーから、しっかりと表情を引き出し、思いの外、カラフル!そうしたあたりに、北欧っぽさも感じたり... そんなゾルセットを引き立てる、ヴォールベルク+トロンハイムバロック。メンバーひとりひとりが奏でる音色の美しさに惹き込まれる... 特に、アクセルソンのフルートの花々しさ、グラナタのハープ、ホーソイエンのギターとテオルボの澄んだ音色は、魅了されるばかり... また、歌の合間に、素敵な器楽曲も演奏され、アクセントに... 当時、一世を風靡した、チェコ出身のハーピスト、クルムホルツのプレリュードとシシリエンヌ(track.7)や、"オランダのハイドン"とも呼ばれたシュミットのフルート四重奏曲(track.13)などは、歌曲とはまた違った味わいを聴かせてくれる。しかし、何と言っても、啓蒙主義によるフランス文学にリンクしたシャンソンを掘り起こしたヴォールベルクのマニアックだけれど、センスを感じさせる視点!単にサロン・ミュージックなのではない、啓蒙主義、文学からアンシャン・レジームを切り取って見えて来る得も言えぬ芳しさに、魅了されずにいられない。いや、オペラ交響曲ばかりでない、18世紀後半のフランスの豊潤さたるや!
Le roman des lumières

グレトリ : オペラ・コミック 『ゼミールとアゾール』 から エール 「ほおじろのように」
メイエ : ロジエ、ロジエ
ドヴィエンヌ : ペドロの歌
フランソワ・アンドレ・ダニカン・フィリドール : あの娘はどこに
作者不詳 : 舟歌
フランソワ・アンドレ・ダニカン・フィリドール : 時間と不運
クルムホルツ : プレリュードとシシリエンヌ Op.2-6
フランソワ・アンドレ・ダニカン・フィリドール : おお、私の憂鬱
ドヴィエンヌ : 死の讃歌
ドゥーニ : オペラ・コミック 『妖精ウルジェール』 より ディヴェルティスマン
ダレラック : アリーヌのロマンス
デュクレイ・デュメニル : 小さなマルモ
シュミット : モデラート 〔フルート四重奏曲集 Op.3 から 第3番〕
ドヴィエンヌ : アベンハメットの戦いの歌

ベリト・ノルバッケン・ゾルセット(ソプラノ)
マッティン・ヴォールベルク/トロンハイムバロック

K617/K617 240