音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

エルガーのあの世を巡るオラトリオ、『ゲロンティアスの夢』。

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なんちゃって多神+仏教徒ではございますが、ローマ教皇の来日に、何だかテンション上がる!のは、クラシック、音楽史界隈をウロチョロしていると、時折、聖下のお姿をお見掛けするからでしょうか?例えば、パレストリーナ教皇マルチェルスのミサとか... いや、多くの教会音楽の名作をレパートリーとしているクラシックであり、音楽史においては、グレゴリオ聖歌(7世紀を迎える頃の教皇グレゴリウス1世によって編纂された、と考えられていたので、そう呼ばれる... )の整備(9世紀を迎える頃?)に始まり、中世、教会こそが音楽の保育器であり、フランス革命に至るまで、教会は音楽センターでもあった史実。当然、教会を主導する教皇の存在は、様々に音楽に影響を与えた。全盛のルネサンスポリフォニー圧力を加えたり(対抗宗教改革の始まりの頃、神の声を多声で歌うことに疑義が申し立てられたため... )、聖都、ローマで、オペラを禁止(オペラは風紀紊乱の元凶!)したり... 一方で、そういうある種の頑固さが、古き伝統を守る砦にもなり... かと思えば、新しい音楽(オペラとか... )に力を入れた聖下もおられまして、力入れ過ぎて、聖下が逝去された後、御一族がローマを追放されるという事態になったことも... 教皇と音楽の長い付き合いを改めて振り返ってみると、なかなか興味深い。
ということで、実はカトリックだった、エルガーによるオラトリオ... エド・デ・ワールトの指揮、ロイヤル・フランダースフィルハーモニー管弦楽団の演奏、ピーター・オーティ(テノール)、ミシェル・ブリート(メッゾ・ソプラノ)、ジョン・ハンコック(バリトン)、コレギウム・ヴォカーレ(合唱)の歌で、エルガーのオラトリオ『ゲロンティアスの夢』(Penta Tone/PTC 5186472)を聴く。

イギリスを代表する作曲家、エルガー(1857-1934)が、カトリックだったと知った時、かなり驚いた。『威風堂々』の、まさに"グレート・ブリテン"な音楽を生み出した作曲家が、国教会ではなく、長らくイギリス国内において、異端的な扱いを受けて来たカトリックだったとは... いや、そういう場所に在ってこそ、形作られる"グレート・ブリテン"もあったのかもしれない。『威風堂々』のコテコテ感を、今、改めて聴いてみれば、妙に仰々しく感じられ、どこか皮肉めいたものもあるような、無いような... そもそも、エルガーは、カトリックというだけでなく、"グレート・ブリテン"のメインストリームからは外れた、カントリー・サイドをコツコツと歩んで来た人物であって... そうした歩みからの、ある種、田舎趣味としての"グレート・ブリテン"が、『威風堂々』には表れていた気もする。どちらにしろ、イギリスを代表する作曲家は、そのイギリスにおいて、二重の意味でアウトサイダーであったわけだ。だからこそ、イギリスを代表し得たのかもしれない。ほとんど独学で音楽を体得し、地方で育まれたエルガーの音楽性には、中心にある閉塞的なアカデミズムよりも、力強さがあったと言えるのかも... 19世紀、長らく、メインストリームから逸材が生まれなかったイギリス楽壇の貧弱さを鑑みれば、エルガーアウトサイダーであった意味は、大きかったように思う。そんなエルガーが、カトリックとして、長年、温め、書き上げた大作が、神学者、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿による長編詩を壮麗に歌う、オラトリオ『ゲロンティアスの夢』。
死への恐怖に囚われている、今際の際のゲロンティアスが見る夢... 幽体離脱し、向こう側と行ってみると、天使たちと出会う。が、そこには亡者たちや悪魔たちもおり、その攻撃や誘惑をかわし、やがて死への恐怖を克服。すると、天使たちから祝福され、死の時が訪れたのだと悟り、今生への別れを告げる。という、死を受け入れる物語... 今際の際の不安を歌う第1部(disc.1, track.1-6)に、神秘体験と昇天を歌う第2部(disc.1, track.7-12/disc.2, track.1-5)からなるオラトリオは、ちょうど1900年に完成。そのロマンティックな音楽を聴いていると、まるで19世紀、ロマン主義が昇天するようでもあり、なかなか興味深い。穏やかに始まる前奏曲は、じわりじわりと不安感に包まれ、時に夢見るようでもあり、ワーグナーを思わせるところもあって、聴き手をグイグイと惹き込む。そうして始まる第1部には、ワーグナーを思い起こさせる壮麗さがあり、フランス・オペラに通じる瑞々しさも感じられて、思いの外、魅惑的!ゲロンティアスの死への恐怖=生への執着を、オペラ的なトーンで描き出すエルガーの妙... 一転、第2部の序奏にあたるアンダンティーノ(disc.1, track.7)の清廉さには、向こう側の浮世離れした空気感が漂い... その後の、幽体離脱したゲロンティアスの歌声は、心なしか軽やかで、という歌声を包むサウンドは、またスペイシーに感じられ、イギリス流の印象主義?ゲロンティアスばかりでなく、音楽そのものも、次第に肉体が薄れて行くような、おもしろい展開を見せる。で、その展開は、19世紀、ロマン主義を"送る"ような感覚も... 今、改めて、1900年という年代に注目して聴いてみると、実に感慨深い。
さて、『ゲロンティアスの夢』は、完成した年、バーミンガムで初演されるも、19世紀、ロマン主義を"送る"ような新しさに聴衆は戸惑いを覚え(ヘンデルみたいなオラトリオを期待していたらしい... って、いつの話しだよ!眩暈を覚えるその保守性... そんなだから、19世紀、イギリス音楽は、進展しなかったわけだわ... )、芳しい結果は得られなかった。が、翌、1901年、ドイツ語訳されてデュッセルドルフで取り上げられると大成功(ドイツでの成功を鑑みると、『ゲロンティアスの夢』には、どこかメンデルスゾーンオラトリオへと還るような感覚もあるのかなと... )!エルガーは国際的な名声も獲得する。それから間もなく、1908年に作曲された1番の交響曲(disc.2, track.6-9)を、『ゲロンティアスの夢』の後で、ちょっとおまけみたいに聴くのだけれど、その自信に充ち溢れた音楽からは、何か新しい世紀を迎えての若々しさのようなものが感じられ... 特別、20世紀を意識させる新しさは無いのだけれど、というより、交響曲という伝統的な形をきっちり織り成し、明らかに保守的。しかし、それをドヤ顔で繰り出されると、不思議と若々しく感じてしまうから、おもしろい。揺ぎ無いオールド・ファッションっぷりゆえの時代を超越する瑞々しさ... 21世紀ともなれば、ますます輝く音楽なのかもしれない。
そんなエルガーを聴かせてくれるのが、オランダのマエストロ、デ・ワールト。この人ならではの、スコアに真摯に向き合って、端正に音楽を構築して来る妙!それでいて、けしてドライにならない、瑞々しさを含み、音楽としての麗しさが全編を包む。そんなサウンドに触れる愉悦!指揮者として、手堅い仕事ぶりを見せながら、的確に、作品の魅力を卒なく、最大限に引き出してしまう。というマエストロが、2016年まで率いたロイヤル・フランダース・フィル(現在はアントワープ響... )の演奏がすばらしく... ベルギーのオランダ語圏のオーケストラという、文化的なボーダー上にある多層性のようなものを意識させられるサウンドが印象的で、またその多層性が、海の向こう側のエルガーの音楽とも響き合い、より魅力的なものに... そんな演奏に乗って歌う歌手陣もまたすばらしく... 特に、ゲロンティアスを歌うオーティ(テノール)の瑞々しい歌声には魅了される。そして、忘れてならないのが、コレギウム・ヴォカーレの、透明感を湛えるコーラス!古楽もカヴァーする彼らならではの透明感が、ダメ押しのように作品を美しく磨き上げ、聴き入るばかり... しかし、交響曲も合わせて、エルガーの音楽はおもしろいなと... そして、そのおもしろさは、今こそより引き立つ気がする。
Edward Elgar The Dream of Gerontius & Symphony No. 1 Edo de Waart

エルガー : オラトリオ 『ゲロンティアスの夢』 Op.38 ****
エルガー : 交響曲 第1番 変イ長調 Op.52

ピーター・オーティ(テノール) *
ミシェル・ブリート(メッゾ・ソプラノ) *
ジョン・ハンコック(バリトン) *
コレギウム・ヴォカーレ(合唱) *
エド・デ・ワールト/ロイヤル・フランダースフィルハーモニー管弦楽団

Penta Tone/PTC 5186472