音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

スッペ、生誕200年、オペレッタではなくて、黙示録!?

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11月も今日で終わり、明日から12月ですよ... あっという間の11ヶ月だったけれど、11ヶ月前、1月を振り返ってみれば、それはあまりに遠く、数年前にすら感じられる。この「あっという間」の"速さ"と、11ヶ月前の"遠さ"に君妙なズレが感じられて、不思議。まるで、タイム・マシーンにでも乗って来たみたいな感覚すらある。いや、2019年は、明らかにいつもと違う一年(って、まだ一ヶ月、残ってる!)だったなと... さて、その遠い1月、当blogは、何で始まったかなと見てみたら、スッペだった(なんか、遠い目... )。そうそう、今年はスッペの生誕200年のメモリアルでした!『軽騎兵』序曲とか、キャッチーで楽しい音楽、ライトなウィンナー・オペレッタの作曲家として知られるスッペだけれど、改めて、この人について見つめれば、かなりおもしろい。そもそも、ウィーンの人ではなくて、クロアチアは、ダルマチア地方、スプリトの出身。でもって、"ウィンナー・オペレッタの父"と呼ばれるわけだけれど、オペレッタばかりを書いていたわけではなく... というあたりに注目してみる。
で、エルガーのオラトリオに続いての、スッペのオラトリオ?!アドリアーノ・マルティノッリ・ダルシーの指揮、グラーツ歌劇場による、スッペの異色作、レクイエム・オラトリオ『最後の審判』(cpo/777842-2)を聴く。オペレッタじゃない、スッペのもう一面...

実は、意外と教会音楽を書いております、スッペ(1819-95)。楽しくライトな音楽ばかりでなく、真面目で重々しい音楽もしっかりと書ける作曲家だったのですね。というスッペ、作曲家としての第一歩を記した作品も、ミサ... クロアチアダルマチア地方、ザダルで育ったスッペ(生まれたのはスプリトだけれど、一家は間もなくスプリトからから100Kmほど北西へ行ったザダルへと移っている... )は、幼い頃からザダル大聖堂の聖歌隊で歌い、ここで最初の音楽教育を受けている。"ウィンナー・オペレッタの父"のベースを作ったのが教会だったとは、ちょっと驚き... いや、だからこそ、教会音楽は、お手の物だったか?1835年、スッペが音楽の道へ進むことに反対していた父親が亡くなると、16歳にして、堂々たるミサ・ダルマティカを作曲、早速、片鱗を見せる。そして、父の死により、母の実家のあるウィーンに移ったスッペは、1836年、ミサ・ダルマティカ(は、スッペがウィーンに移った後、ザダル大聖堂で初演!)のスコアを携えて、ベートーヴェン『レオノーレ』の初演を指揮したザイフリート(1776-1841)の門を叩き、師事。その下で学ぶ中、課題としてミサを書き、そうした作品は、ウィーンの教会で歌われる機会も... 師、ザイフリートは、スッペを教会音楽の作曲家として高く評価していたらしい。が、スッペは、やがて、ウィーンの劇場を渡り歩き、"ウィンナー・オペレッタの父"として、ウィーンにおけるオペレッタの誕生(1862年に初演された『寄宿学校』が、その最初とされる... )に大きな役割を果たすことになる。で、ここで聴く、レクイエム・オラトリオ『最後の審判』は、オラトリオにしてレクイエムでもあるという特殊な作品。
ザイフリートの下から巣立ってすぐに、ヨーゼフシュタット劇場(1822年、ベートーヴェンが、この劇場の柿落としのために書いたのが、劇音楽『献堂式』... 献堂式序曲で有名な!)の第3指揮者のポストを得たスッペ。以後、指揮者として、作曲家として、スッペを引き立てたのが、当時、ヨーゼフシュタット劇場の劇場支配人を務めていた、ポコルニー(1797-1850)。スッペにとって、ウィーンの劇場で活躍する道筋を付けてくれた恩人... で、この人が、1850年に亡くなり、その5年後の1855年、故人を偲んで作曲されたのが、死者のためのミサの典礼文に、最後の審判の場面を差し挿むという大胆な形を執り、2部構成で展開する異色作、レクイエム・オラトリオ『最後の審判』。物寂しいオルガンの演奏に導かれて始まる前奏曲は、最後の審判らしく、トゥッティで、ジャーン!みたいな、最後の審判感、半端無く... いや、実に厳かな前奏曲で、オペレッタの「オ」の字も浮かばない。って、当然なのだけれど... そんな前奏曲のテーマをそのまま引き継いで歌われるのが、入祭唱とキリエ(disc.1, track.2)。そこには、オラトリオの「オ」の字も無く、ズバリ、レクイエム。入祭唱では、コーラスと4人のソロが手堅く歌いつなぎ、葬送の音楽ならではの沈痛な表情を漂わせ... 続くキリエでは、教会音楽らしく、古風に、作法に則って対位法を織り成し、壮麗な音楽を響かせる。そんな音楽に触れると、ザイフリートが教会音楽の作曲家として買っていたことに納得。一方、オラトリオの部分でも、確かなドラマを聴かせてくれる。
そのオラトリオの部分は、主にシェーナで歌われるのが特徴的で、レクイエムの荘重さを殺さずに、重厚感のある音楽を聴かせ、最後の審判を前にした様々な感情を丁寧に描き出す。で、その深いドラマ性を目の当たりにすると、"ウィンナー・オペレッタの父"であったことを忘れてしまいそうになる(もうね、ヴェルディとかに負けてない... )。また、そうしたオラトリオとしてのナンバーから、レクイエムの構成曲へのつなぎが実に巧くて... また、つなげられたレクイエムの構成曲が、思いの外、メロディアスであったり、ドラマティックであったり、オペラ的な表情すら見せ... 単に、レクイエムにオラトリオを織り込んだだけではない、オラトリオが挿入されることで、レクイエムのエモーショナルな側面が刺激され、オラトリオよりもドラマ性が強化されて行くというおもしろさ!テノールのシェーナからのディエス・イレ(disc.1, track.4)の盛り上がりは、オペラのワン・シーンを見るかのよう... かと思うと、アルトのやさしいメロディーに導かれて始まるベネディクトゥス(disc.2, track.7)は、ソロ、4人によるア・カペラで歌われ、けしてルネサンス風ではないけれど、ア・カペラならではのアルカイックさに、教会音楽の伝統が幻影のように立ち現れて、惹き込まれる。いや、レクイエムにしてオラトリオであるという幅を活かし切っての多彩さに圧倒される。ただ大胆なだけでない、的を射た融合、そこからのケミストリーは、魅力的。
という、スッペのもう一面、隠れた傑作を掘り起こすのが、イタリアの指揮者、マルティノッリ・ダルシー。16歳の時に作曲されたミサ・ダルマティカや、晩年のオペラ『水夫の帰国』を録音するなど、"ウィンナー・オペレッタの父"じゃないスッペを紹介するスペシャリスト... それだけに、堂に入った音楽を展開。ライトでないスッペの充実を、グラーツ歌劇場のオーケストラとコーラスからきっちり引き出して、聴き応え十分。で、このグラーツ歌劇場の"オペラハウス"という性格も効いていて、普段、オペラを歌い演奏しているからこその展開の巧さが感じられ、レクイエム・オラトリオの突飛さを、宗教的オペラに昇華するよう。ソリストでは、天使のようなピュアな歌声を聴かせてくれるクロブカール(ソプラノ)、聖母のような慈しみを感じさせるカイザー(アルト)の存在感が印象的。また、ナイーヴかつ雰囲気を漂わせるラインハルト(テノール)の歌声は、よりオペラティックで、全体のスパイスに... そうして、際立つ、オラトリオ・レクイエム『最後の審判』の魅力!今でこそ忘れ去られているものの、初演は大成功、当時、大変な人気を集めた作品なのだとか... 若きブラームス(1833-97)も絶賛していたらしい。うん、わかる。これは、スッペのイメージを覆す、隠れた名作かも...
Franz von Suppé ・ Extremum Judicium
Grazer Philharmonisches Orchester ・ Martinolli D‘Arcy


スッペ : レクイエム・オラトリオ 『最後の審判

マルガレータ・クロブチャール(ソプラノ)
シャミリア・カイザー(アルト)
タイラン・ラインハルト(テノール)
ヴィルフレート・ツェリンカ(バス)
グラーツ歌劇場合唱団
アドリアーノ・マルティノッリ・ダルシー/グラーツフィルハーモニー管弦楽団

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