音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ベルリオーズ、その特異なる芸術の種... 荘厳ミサ。

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12月に入りまして、2019年を振り返ってみるのですが、いやー、今年も、メモリアルを迎えた作曲家、いろいろ取り上げて来たなと... 生誕300年のバルバラ・ストロッツィ(1619-77)、生誕200年のスッペ(1819-95)、オッフェンバック(1819-80)、グヴィ(1819-98)、モニューシュコ(1819-72)、没後150年のゴットシャルク(1829-69)、生誕150年のプフィッツナー(1869-1949)、ルーセル(1869-1937)... それから、生誕300年のモーツァルトの父、レオポルト(1719-87)、生誕200年のシューマンの妻、クララ(1819-96)など、ヴァラエティに富み、実に興味深かった!のだけれど、やっぱり、2019年のクラシックの顔は、没後150年、ベルリオーズ(1803-69)だったかなと... 当blogでも、ハーディングネゼ・セガン幻想交響曲、ロトの「イタリアのハロルド」、そして、前回のモルローによるレクイエムと、かなりの推しでして... 翻ってみれば、自分、ベルリオーズ、好きなんだなと、改めて思ったり... で、改めて、この異端児と向き合ってみて、凄い人だったなと、感服してしまう。ということで、2019年が終わらない内に、ベルリオーズの大作を、ドン!ドン!と、並べてみる。
エルヴェ・ニケ率いるル・コンセール・スピリチュエルの合唱と演奏、アドリアーナ・ゴンサレス(ソプラノ)、ジュリアン・ベーア(テノール)、アンドレアス・ヴォルフ(バス)のソロで、かのレクイエムの素となったベルリオーズの荘厳ミサ(Alpha/Alpha 564)を聴く。

1837年、3月末、ベルリオーズは、内務大臣、ガスパラン伯爵から、七月革命(1830)の記念式典のためにレクイエム(七月革命の犠牲者と、1835年の革命記念式典を狙ったテロの犠牲者に捧げられる... )を委嘱される。記念式典は7月28日、3ヶ月しかない!ということで、ベルリオーズは学生時代に作曲した荘厳ミサを素に、あの巨大な音楽を創り上げて行く(初演は、いろいろあって、七月革命の記念式典ではなく、フランスが植民地化を推し進めていたアルジェリアでの武装蜂起鎮圧の際に倒れたダムレモン将軍とその将兵を追悼する12月の式典に持ちこされる... )。で、その素になった荘厳ミサを聴くのだけれど、1821年、家業の医学を学ぶためにパリへとやって来たはずのベルリオーズだったが、音楽の道は諦められず、1823年、コンセルヴァトワールに入学。その翌年、1824年、21歳の年に作曲されたのが、荘厳ミサ。レクイエムを聴いてから、この荘厳ミサを聴くと、聴き知ったフレーズが次々に立ち現れて(素となったのだから当然なのだけれど... )、印象に残るフレーズが、すでに学生時代り頃に生み出されていたことに驚かされる。興味深いのは、そのフレーズが、レクイエムばかりでなく、ベルリオーズの後の作品に様々に用いられていること!穏やかなグラーティアス(track.4)は、幻想交響曲(1830)の3楽章、「野の情景」となり、他にも、オペラ『ベンヴェヌート・チェッリーニ』(1838)に、序曲「ローマの謝肉祭」(1843)に、テ・デウム(1849)に、その素材を提供している。つまり、荘厳ミサは、作曲家、ベルリオーズの原点となった作品と言えるわけだ... が、今、改めて荘厳ミサを聴いてみると、なんだァ、このミサは?!となる。異形のレクイエムの素となった作品は、すでに、ミサとして、規格外だったと言えるのかもしれない。
祝祭感に溢れる始まりの序奏の後で歌われるキリエ(track.2)は、ちょっとびっくりするくらいに流麗... 普通、重々しく、如何にもミサ!みたいに始まるキリエのはずだけど、そこはかとなしに明るさを含んで、得も言えず美しい。教会音楽らしい対位法なんて、完全に忘れ去られてしまったかのように流麗で、だから美しさが際立つ。しかし、最後、劇的に盛り上がり(ここで、対位法が効いて来るという... )、熱に浮かされたようなエモーショナルさ(嗚呼、ベルリオーズ!だから、好き... )を見せ、のっけからカタルシス!続く、グローリアは、モーツァルトの頃へと還るような明快さを見せて古典的?ベルリオーズの不思議なところは、ロマン主義の権化のようで、過去へと立ち返ることに何の躊躇いもないところ... モードに対して、凄く自由だったからこそ、幻想交響曲のような驚くべき革新を生み出せたのだろう。しかし、自由だ。ミサっぽくない。クレド(track.6)では、バスが男声コーラスを従えてドラマティックに歌い、フランス・オペラを思わせる。インカルナトゥス(track.7)では、ソプラノがエアリーに歌い、モーツァルトのオペラを思わせる。そして、聴かせ所、レスルレクシト(track.9)!レクイエムの聴かせ所、ディエス・イレの素になるパートなのだけれど、あのディエス・イレほどのブラスは降って来ないし、ティンパニの連打も少な目だけれど、レクイエムへとつながる迫力はしっかりある!そして、巨大化以前の規模ならではの機動性に優れていて、ノリがいい!レクイエムの黙示録的な凄まじい情景とは違う、より音楽としての魅力が際立った在り様に惹き込まれる。が、何と言っても、最大の魅力は、最後、ドミネ・サルヴム(track.14)のカタルシス
嵐の前のような静けさ?テノールの切なげな歌声に導かれ、女声コーラスが祈りを唱えるように歌うアニュス・デイ(track.13)の後で、びっくりさせられる派手な音楽... ダーン!ダーン!ダンダッダン、ダンダッダン... 何だか昭和の頃のロッボット・アニメとかが始まりそうなテーマで、オーケストラが短い序奏を景気良く奏でると、男声のソロ、2人が歌い出し、コーラスがすぐに引き継いで、今度は、みんなで、ダーン!ダーン!ダンダッダン、ダンダッダン... はっきり言います。稚拙です。稚拙ですが、稚拙でしか得られないものもある!それが、ドミネ・サルヴム... アホか?!くらいに、転調に次ぐ転調で、曲の表情をコロコロ変えて行って、輝かしさと悲劇性が大波となって、ザブーン、ザブーンと絶え間なく聴き手の耳を洗うような、ちょっと尋常じゃない光景が展開される。けど、どうしようもなく惹き込まれる!劇画のようにエモーショナルで... てか、ミサを劇画にするなんて、あり得ない。というより、ひとりのこども(つまり、ベルリオーズ... )が、まるで、オーケストラを、コーラスを、おもちゃのように扱い、ごっこ遊びをしているかのようなやりたい放題... やりたい放題をやり切って、ヤリ過ぎなくらいに盛り上げて、最後は、もう、笑うしかない。なりふり構わない、笑っちゃうほどのカタルシスが、ヤミツキ...
そんなベルリオーズの荘厳ミサを聴かせてくれるのが、ニケ+ル・コンセール・スピリチュエル。ある意味、とてもフランスらしい仕上がり... 全体を淀み無く豊かな色彩感を以って響かせて、習作とも言えるこの作品に独特な優雅さを与える。荘厳ミサというと、ガーディナーによる世界初録音が強烈な印象としてあるのだけれど、そこで味わった刺激的なエキセントリックさは、幾分、薄れ、思いの外、優雅なのがおもしろい。とはいえ、習作の稚拙さを隠してしまうほどではない... いや、優雅にして稚拙な音楽を繰り出すと、ミサというありがたいものを戯画化するようで、また違った刺激が湧き上がって来る。それでいて、味わい深いル・コンセール・スピリチュエルのオーケストラがいい味を醸していて、ガーディナーのORRによる切れまくっていた演奏とは違う、おもしろみをしっかり盛り込んで魅力的!一方のコーラスは、軽やかで、挑発的でもあって、習作の、若気の至りを、そのままに歌い上げ、青春の青さが花火となって打ち上げられる!この危なっかしさと、勢いと、味が相俟って、若きベルリオーズのまだまだ粗削りな頃の一瞬を、活き活きと蘇らせる。その瑞々しさたるや!輝かしさたるや!ちょっと甘酸っぱくもある陶酔が、どこか懐かしくもあり、圧巻!
HECTOR BERLIOZ MESSE SOLENNELLE
Le Concert Spirituel, Hervé Niquet


ベルリオーズ : 荘厳ミサ

アドリアーナ・ゴンサレス(ソプラノ)
ジュリアン・ベーア(テノール)
アンドレアス・ヴォルフ(バス)
エルヴェ・ニケル・コンセール・スピリチュエル

Alpha/Alpha 564