音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

クリスマスに聴くドイツ・バロックの素朴、ハスラーの微笑ましさ。

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さて、クリスマス・イヴです。でもって、日本のクラシックにとっては、やっぱり、第九の季節... いや、毎年、思うのだけれど、「第九の季節」って、なかなか感慨深いものがあります(すでに季語だよね... 日本の文化に融け込んでいる... )。が、クラシック的に、あまりに"クリスマス"がスルーされてしまうのはもったいない気がする。何しろ、西洋音楽の発展には、教会の存在が欠かせなかったわけで... その教会にとっての最大のお祭りのひとつ、イエス様のお誕生日を祝う"クリスマス"は、教会音楽にとっても、力が入いるわけで... グレゴリオ聖歌の整備以来、長い教会音楽の歩みの中には、多くのクリスマスのための作品、つまり、いつもよりスペシャルな、クリスマスのための音楽が作曲されて来たわけです。バッハのクリスマス・オラトリオヘンデルオラトリオ『メサイア』だけじゃありません。そうしたあたり、もうちょい取り上げられたならいいのになァ。
ということで、ルネサンス末、ドイツのクリスマスの音楽... ヴォーカル・クァルテット、ペニャローサ・アンサンブルが歌う、バッハ、ヘンデルの源流、ハスラーによる、待降節とクリスマスのための作品集、"In Dulci Jubilo"(Carus/83.396)を聴く。

1曲目から、その素朴さに癒されます!イルミネーションに彩られた、今のクリスマスとは、当然、違って、大聖堂で壮麗に祝われるクリスマスともまた違う、もっと親密で、等身大の温もりを感じさせる歌声... それは、救世主の降誕の特別さよりも、もっとシンプルに、赤ちゃんが生まれた!という喜びが、じんわりと広がる音楽。だから、より根源的にも感じられるのかも... そんな、中世のクリスマスの讃美歌(ラテン語で歌われる... )に基づく、「ひとり子ベツレヘムに生まれたまえり」。宗教改革(1517)の後、多くのドイツの作曲家が、ドイツ語訳された詩を用い、この古いメロディー(バッハは、65番のカンタータで、このテーマを用いている... )に作曲しているわけだけれど... つまり、クリスマスの定番のメロディーだったのだろう。旧来のものは打ち捨てる、宗教改革の激烈な嵐が襲おうとも、人々は、この伝統のメロディーを求めたわけだ。いや、わかる!宗教改革の高い理念よりも、耳馴染みのあるメロディー... 大家が作曲したのではない、歌い継がれて来た素朴さの気の置け無さ、得も言えぬ温もりは、今を以ってしても、聴く者をやさしく包んでくれる。また、ハスラーが、そのメロディーを慈しむように捉え、複雑なポリフォニーを編むことはせず、ホモフォニックに展開し、メロディーが持つ温もりを引き立てる。宗教改革後のドイツのクリスマスは、慇懃無礼さを廃して、人々に本当の喜び(赤ちゃんが生まれた!)を喚起し、ひとりひとりに寄り添うかのよう... 続く、「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」(track.2)も、やはり、古いクリスマスの聖歌に基づくもので、ルターによりドイツ語訳されたコラール(プロテスタントの教会の待降節のミサに歌われる定番とのこと... で、バッハの61番のカンタータが同じタイトルで、その1曲目で歌われている... )に基づくのだけれど、やはり、ハスラーは、メロディーを大切に、声部をシンプルに、端正にまとめて、解り易い音楽を繰り出す。この解り易さこそ、宗教改革の精神に合致するもの(基本、プロテスタントの教会のコラールは、会衆が歌うもの... )。またそれは、ルネサンスポリフォニーが終わりを告げようとする時代の、新しい音楽を示すものでもあって...
中世以来の商都ニュルンベルクに生まれたハスラー(1564-1612)は、1584年から1586年に掛けて、ルネサンスポリフォニーから一歩を踏み出すコーリ・スペッツァーティ=分割合唱を生み出した街、ヴェネツィアへと留学している。そして、ヴェネツィア楽派の巨匠で、聖マルコ大聖堂のオルガニストを務めていたアンドレーア・ガブリエリに師事、イタリアの最新のスタイルを体得、ドイツに持ち帰るわけだけれど... ハスラーの音楽を、今、改めて聴いてみると、どこかイタリア(対抗宗教改革の煽りを受け、ローマでは、パレストリーナが、やはりポリフォニーの声部を整理し、パレストリーナ様式を確立して行く... )よりもう半歩先へと踏み出しているような印象も受ける。コーリ・スペッツァーティによるエコーと、ホモフォニーの間を、卒なく行き来し、ルネサンスポリフォニーのふわっとした美しさから軽やかに脱っしてみせて、そうして生まれるインパクトで以って、聴く者を惹き込んで来る。そうした中で、特に印象深いのが、ラテン語によるモテット「マリアは言った」(track.3)に基づく、ミサ「マリアは言った」(track.4-8)... ルネサンスの伝統に則っての、自作のテーマ、「マリアは言った」を定旋律とした循環ミサながら、ポリフォニーとホモフォニーを巧みにつないで、ルネサンスとポスト・ルネサンスの良いとこ取りな仕上がり!プロテスタントならではの感性というべきか、その無駄の無さが、後のドイツ・バロックを予感させる構築感、手堅さを獲得させつつ、ルネサンスのエアリーさも失わない。それどころか、無駄が無いからこそ、声部の見通しは良くなって、透明感は増し、かえって強化されるエアリーさも... いや、見事に引き立て合う、古き伝統(カトリック)と新しい感性(プロテスタント)!またルネサンスの古風さ=アルカイックさと、声部をシンプルにまとめて生まれる素朴さ=アルカイックさが重なると、得も言えぬ高貴さが広がる。過渡期ながら、確かな個性を形作り、さらに洗練すら示すその音楽に、魅了されずにいられない。けど、プロテスタントハスラーが、ラテン語によるミサ?
ヴェネツィアから戻って来たハスラーは、アウグスブルクの大富豪、カトリックフッガー家の室内オルガニストを務めた後、1601年、故郷、プロテスタントニュルンベルク市の音楽監督に就任。一方で、カトリック神聖ローマ皇帝からは、帝国宮廷侍従の称号を贈られ... 1608年には、プロテスタントザクセン選帝侯のドレスデンの宮廷のオルガニストに就任し、その死まで務めている。いや、世渡りが上手だった、ハスラープロテスタントカトリックを自在に行き来し、卒なく音楽を繰り出す器用さ!このアルバムに収められたラテン語で歌われる作品=カトリックのための作品は、ポリフォニーの伝統を活かしつつ、より構築的で... ドイツ語で歌われる作品=プロテスタントのための作品は、よりシンプルに、ホモフォニックに展開して、キャッチー!そういう、それぞれの要求に応えることで磨かれる洗練が、ハスラーの音楽からは聴こえるように思う。そして、ますます洗練されて、さらに融合されて、至るのが、バッハなのだろう。そう、ハスラーは、ドイツ・バロックの源...
というハスラーを聴かせてくれるのが、ペニャローサ・アンサンブル。はぁ~ 年の瀬の気忙しさを忘れさせてくれる、やわらかな歌声... ソプラノ、アルト(カウンターテナー)、テノールバリトンによる4声のアンサンブルは、まず見事に澄み切っていて、ハスラーの音楽のおもしろさをすっきりと浮かび上がらせる。一方で、ひとりひとりが、とても温もりのある歌声を響かせて、ハーモニーに得も言えぬやわらかさが生まれ、そのやわらかさが、音楽の素朴さにふくよかさをもたらす。このふくよかさが、もの凄く効いていて、ハーモニーに親密さを生み、何だか微笑ましい。だから、クリスマスの喜ばしさがふわっと香り出す!けして派手な音楽ではないけれど、いや、そのささやかさにこそ、素朴な美しさが広がって、本来のクリスマスの微笑ましさを見出せる気さえする。そんな微笑ましさに包まれる喜び!こういうクリスマスって、素敵だ。
Hans Leo Hassler: In Dulci Jubilo
Peñalosa-Ensemble


ハスラー : ベツレヘムにみどり児が生まれ
ハスラー : いざ来ませ、異邦人の救い主よ
ハスラー : マリアは言った
ハスラー : ミサ 「マリアは言った」
ハスラー : 天使は羊飼いに言った
ハスラー : 羊飼い達よ、汝ら見たものを語れ
ハスラー : 高き天より
ハスラー : キリストをわれらさやけく頌め讃うべし
ハスラー : かくも称賛すべきひとりの御子
ハスラー : 甘き喜びのうちに
ハスラー : 賛美の歌を響かせよ
ハスラー : 讃美を受けたまえ、汝イエス・キリスト
ハスラー : 祝福された乙女マリア
ハスラー : マニフィカト VIII
ハスラー : 主を恐れるものは幸いなり
ハスラー : 女より生まれしもののうち
ハスラー : われら汝に感謝し奉る
ハスラー : 彼は主を讃える
ハスラー : 神なる主
ハスラー : 主に向いて新しき歌を歌え
ハスラー : いと高きところにいます神にのみ栄光あれ
ハスラー : 神の恵みを共に讃えん

ペニャローサ・アンサンブル

Carus/83.396