音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ベートーヴェン、ミサ・ソレムニス。

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2020年は、ベートーヴェン・イヤー!ということで、"新発見"とか、"世界初録音"とか、今からいろいろ期待してしまうのだけれど... そうした矢先、昨年末、ベートーヴェンが、10番目の交響曲として構想し残したスケッチを基に、AIによって"第10番"を作曲する、というニュースがありました(完成は、春の予定... )。いや、ひばりさんに負けられない... てか、合唱付きを越えてゆく交響曲(否が応でもハードルは上がる!)として、どんな音楽に仕上がるのか、興味津々。聴力がどんどん失われて行く晩年の楽聖は、誰も辿り着けないような、独特な音世界の中に在ったわけで、最後の3つのピアノ・ソナタなどを聴けば、その突き抜けた音楽の在り様に、どこか作曲という行為さえ越えてしまったような印象すら受ける(なればこその"楽聖"なのだと思う... )。AIは、この独特さをどう学習するのだろう?18世紀、ウィーン古典派の伝統を、しっかりと受け継いでいるベートーヴェンの音楽(初期)。ここまでならば、学習は容易。18世紀から19世紀への激動の時代(フランス革命からのナポレオン戦争からの保守反動... )をサヴァイヴし、ロマン主義的な方向性に個性を見出したベートーヴェン(中期)。これもまた、学習するのは、そう難しいものではないと思う。が、ロマン主義そのものへと向かうことはなかった晩年(後期)... 外からの音と断ち切られて至った境地は、学習して辿り着けるだろうか?いや、理論や様式を越えた地平を、AIが見つけることができたならば、楽聖ベートーヴェンの真髄が、詳らかになるのかもしれない。
ということで、これもまた真髄、と思う作品... フィリップ・ヘレヴェッヘ率いるシャンゼリゼ管弦楽団の演奏、コレギウム・ヴォカーレの合唱、マーリス・ペーターゼン(ソプラノ)、ゲルヒルト・ロンベルガー(メッゾ・ソプラノ)、ベンジャミン・ヒューレット(テノール)、デイヴィッド・ウィルソン・ジョンソン(バリトン)のソロで、ベートーヴェンのミサ・ソレムニス(PHI/LPH 007)を聴く。

ナポレオン戦争(1803-15)が終わり、ウィーン体制が確立(1815)すると、ヨーロッパの政治はフランス革命以前に逆戻り... 保守反動による停滞の時代、ウィーンでは、小市民的かつ内向的なビーダーマイヤー様式が人々の心を捉え、芸術面でも後退は否めなかった。そうした頃に、ベートーヴェンは、いわゆる「後期」の時代を迎える。聴力はますます弱くなり、スランプも経験し、プライヴェートでは、甥、カールの養育に執着、結果、カールを自殺未遂(1826)に追いやってしまうという、ある意味、八方塞の後期... が、塞がってこそ、なのか、ベートーヴェンの頭の中には、全てを超越して行くような音像が生まれ始める。そんな後期、1819年、ベートーヴェンの弟子であり、友人であり、最大のパトロンハプスブルク家のルドルフ大公(モーツァルトらウィーン古典派の支援者、ヨーゼフ帝の甥にして、そのモーツァルトらをリストラした皇帝、レオポルト2世の末っ子... )が、オルミュッツ大司教(チェコモラヴィア地方、オロモウツ、ドイツ語名、オルミュッツの領主司教... )となり、その就任式のミサのために荘厳ミサを贈ろうとしたベートーヴェンだったが、体調不良もあり、作曲は遅れ、就任式には間に合わず... いや、間に合わなくなるほど、熱入れて、就任式のためのミサを越える、より普遍的な音楽を響かせてしまったのが、ここで聴く、ミサ・ソレムニス。奇しくも、第九と作曲時期が重なるのだけれど... というより、第九とミサ・ソレムニスは双子?1823年に完成されたミサ・ソレムニスは、翌年、1824年、第九の完成を待って、その初演のコンサート(5月24日、ウィーン、ケルントナートーア劇場にて... )で、キリエ、クレド、アニュス・デイの3曲のみが、"3つの讃歌"として歌われている(その少し前、4月7日、ベートーヴェンパトロンのひとり、ロシア貴族、ガリツィン公が、サンクト・ペテルブルクで初演... )。いや、改めて第九とミサ・ソレムニスを並べてみると、晩年の楽聖の境地が浮かび上がるような気がする。で、よりミサ・ソレムニスに、それは表れているのかも...
始まりのキリエの、まるで大河が滔々と流れてゆくような、何とも言えない雄大さ。そのゆっくりとしたテンポは、どこか葬送の音楽を思わせるようでもあり、何とも言えないセンチメンタルも滲む。で、そんな音楽に触れていると、どうにもこうにも心がジーンとしてしまう。いや、もう、大きな流れに流されて、自身の儚さを思い知らされて、けど、流れに呑まれることで、浄化されるようで、嗚呼、何なの、この音楽... いわゆるミサの、キリエの、教会音楽らしさ、典礼としての厳かさとは違う、音楽としての存在感、揺ぎ無さに驚かされ、ただただ惹き込まれる。いや、改めて聴いてみると、この雄大さ、ブルックナーマーラーさえ先取りするようで、同時代の音楽はもちろん、ベートーヴェンの他の作品にも探せないように思う。続く、グローリア(track.2)は、一転、教会音楽らしくフーガで盛り上げて、荘厳ミサの伝統へと回帰してみせる。そのパワフルさに触れると、モーツァルト大ミサを思い起こし、かつての、ベートーヴェン本来のウィーン古典派としての性格が呼び覚まされるかのよう... とはいえ、そうしたところに留まっておられないのがベートーヴェンであって、中間部は多彩な音楽でつないで、印象深く... そこから、もう一度、フーガを織り成して、ルネサンス・ポリフォニーへと還るような壮麗さを見せ、聴く者を圧倒して来る。いや、最後のテンションの高さと、そこから生み出される輝かしさは、まぶし過ぎるくらい。からのクレド(track.3)は、キャッチーなテーマで始まりながら、どこか錯綜するようで、音楽が次々に表情を変えて、目まぐるしい。いや、様々な音像が耳から入って来て、ちょっと脳内で処理し切れないような感覚を味わって、戸惑いすら覚えるのだけれど、そういう音楽を容赦無く投げてよこすベートーヴェンの凄まじさたるや!正直に告白しますと、かなり長い間、ベートーヴェンのミサ・ソレニムスが理解できませんでした。それは、もうワケのわからん音楽... "ゲンダイオンガク"とそう遠くない音楽... が、ベートーヴェンの晩年の頭の中を覗くような意識で聴いてみると、また違った感慨を覚える。外界と遮断された中で、過去と未来がとめどもなく流れ出す、次元を超越した音楽なのかも...
ミサ・ソレムニスって、何だかスペイシー。ホルスト『惑星』よりスペイシーかも... 果てしない漆黒の空間が広がる中、無数の星々が光を放ち、銀河は漂い、時折、超新星が強烈な光を放って、虹色のガス雲がうわーっと広がるような、そっと目を閉じて、ミサ・ソレムニスと向き合うと、そんなイメージが頭の中に浮かんで来る。外界と遮断されて、宇宙の扉が開いてしまったか?典礼のフォーマットを用いながら、そこに宇宙が浮かび上がるとは、何だか、奇妙なものを見る思いもするが... いや、ミサ本来の普遍性が、ベートーヴェンの晩年の境地と共鳴し、人智を越えた大聖堂としての宇宙が響き出すのかもしれない。それは、もはや、ブルックナーマーラーどころでなく、リゲティのマイクロ・ポリフォニーや、スペクトル楽派の音響にも通じる感覚すらあって、ベートーヴェンの時代の音楽、という固定概念から、一度、外れてみると、ミサ・ソレムニスは、よりピュアな音楽として響いて来るのかもしれない。また、そういうピュアな音楽は、単に聴くだけでない、ある種の体験をもたらしてくれるようでもあり、とめどもなく降り注ぐサウンドに、カタルシスを覚えずにはいられない。そう、これは、作曲家としてのリミッターが外れた音楽なのだと思う。つまり、常軌を逸している。サイケデリックと言ってしまっても良いのではないだろうか?というより、サイケデリックとしてしまえば、腑に落ちる音楽。今、改めて、ベートーヴェンのミサ・ソレニムスと向き合うと、そんな風に思えて来る。そして、サイケデリックなミサは、最高にクール!何より、深淵がそこに広がる。その深淵を覗けば、楽聖が、楽聖たる所以を思い知る。やっぱりこの人はただならない。
という、ミサ・ソレムニスを、ヘレヴェッヘの指揮、シャンゼリゼ管の演奏、コレギウム・ヴォカーレの合唱による2度目の録音で聴くのだけれど、それは、ヘレヴェッヘらしい、スコアの在りのままを響かせて、ちょっとぶっきらぼうなくらい。けど、それくらい作品を突き離して得られる、より大きな風景に驚かされる。というより、このヘレヴェッヘによるミサ・ソレムニスを聴けば、他の録音が如何に"ワケのわからん"ところに、意味を持たせようと創意工夫を施して来たかを思い知らされる。そう、ワケのわからんあたりは、在りのままでこそ、本来のスケール感を響かせることができる。また、在りのままの全てを丁寧に慈しむように響かせるヘレヴェッヘがいて... 全体のスケール感と、細部の瑞々しさに息を呑む。嗚呼、もう、言葉を失います。ピリオドらしい、すっきりとしたサウンドを響かせながら、十分に広がりを持たせるシャンゼリゼ管。いつもながら精緻でありながら、あらん限りの歌声を降らせてくるコレギウム・ヴォカーレヘレヴェッヘの指向を確かに息衝かせる見事なパフォーマンスが、この上ない宇宙を見せてくれる。さらには、すばらし過ぎる4人のソリストたち... ナチュラルで、伸びやかで、力の入るミサ・ソレムニスに、力みをスーっと解消させるような美しい歌声、アンサンブルは、もはや、魔法。サンクトゥス(track.4)、後半のベネディクトゥスなんて、気が付いたら涙がこぼれているレベル(オブリガードのヴァイオリン、そのあまりの美しさも、泣ける!)。ワケわからん音楽の全てを、ただそのままに歌い奏でて生まれる何と言う雄大さ... そして、美しさたるや!もはや、神秘にすら感じられる。

Collegium Vocale Gent - Orchestre des Champs-Élysées - Philippe Herreweghe
Ludwig van Beethoven Missa Solemnis


ベートーヴェン : ミサ・ソレムニス ニ短調 Op.123

マーリス・ペーターゼン(ソプラノ)
ゲルヒルト・ロンベルガー(メッゾ・ソプラノ)
ベンジャミン・ヒューレット(テノール)
デイヴィッド・ウィルソン・ジョンソン(バリトン)
コレギウム・ヴォカーレ(コーラス)
フィリップ・ヘレヴェッヘシャンゼリゼ管弦楽団

PHI/LPH 007