音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

シューベルト、18番と21番のピアノ・ソナタ。

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冬はつとめて... 清少納言は、冬の美しさを象徴する一時に、早朝を挙げている。なかなか布団から出るのが難しい時間帯だけれど、そのキーンと冷えた空気、澄んだ大気の清浄さは、確かに、冬なればこそ... そういうクリアさ、嫌いじゃない。ということで、春は曙、秋は夕暮れ、みたいに、四季を楽器で語ったら... 昨秋のチェロヴィオラ・ダ・ガンバに続いての冬。冬はピアノ... 冷徹なまでに、クリアに音階を刻むことのできるマシーンは、どこか冬の佇まいに通じる気がする。もちろん、ピアノはどんな季節だって自在に表現できる。が、ポンっと、打鍵して広がる響きの明瞭さは、冬の大気の清浄さを思わせて、そういう他の楽器では味わえないクリアさに触れていると、何だか耳が洗われるような... いや、このあたりで、ちょっと、洗われた方が良いのかも... 年末、盛りだくさんな歌モノが多かったし... いや、ちょっと、じっくり、ピアノと向き合ってみようかなと...
で、シューベルトハンガリーの巨匠、アンドラーシュ・シフが、1820年頃製作のフランツ・ブロードマンのピアノで弾く、シューベルトの18番と21番のピアノ・ソナタ... 楽興の時、即興曲なども収録された2枚組(ECM NEW SERIES/4811572)を聴く。

1枚目、最初のハンガリーのメロディーの、物悲しい表情に触れると、独り冬の旅にでも出てしまったかような、孤独感というか、寂寥感を味わい... いや、ピリオドのピアノの、ちょっとくぐもった響きが生む侘しさがあって、モダンのピアノの輝かしさからすると、何とも仄暗く、そういう光度で以って響く東欧風の裏寂しさは、ちょっと中てられさえする。また、シフのタッチの飾らなさ... 円熟の先に枯れて至るような朴訥さがあって、メロディーの物悲しさ、トーンの裏寂しさ、サウンドの侘しさを際立たせ、何とも言えない心地にさせられる。シューベルトの音楽は、こんなに寂しげなものだっただろうか?そうして始まる、18番のソナタ、「幻想」(disc.1, track.2-5)。出版される際に、1楽章が幻想曲とされたため、「幻想」と呼ばれるわけだけれど、その1楽章(disc.1, track.2)を、シフで、ピリオドのピアノで、今、改めて聴いてみると、本当に幻想のようにおぼろげで、その心許無い様子にびっくりさせられる。1826年に作曲された、このソナタは、シューベルトにとってはすでに晩年にあたる作品だけれど、その年齢は、未だ29歳... 30歳を前にした若き作曲家が、こうもおぼろげな、どこか諦念すら漂わせる音楽を書いてしまうとは... もはや、心ここに在らず、そんな印象が広がり、1楽章に限らず、どこか浮世離れした音楽の在り様は、ベートーヴェン最後の3つのソナタ(1820, 21, 22)を思い起こさせる。ソナタという形よりも幻想に逃げ込んで、解き放たれ、肩の力も抜けて、自由に音楽を楽しむかのよう。で、その自由が切なくなってしまう。確かな才能がありながら、どうにもこうにも表に出られなかったシューベルトの内向きのダメっぷり... シフのピアノは、そのあたりを淡々と音にし、シューベルトの内面に入り込むよう。で、内面から投影される「幻想」は、思いの外、魅力的!淡々として引き出される味わい、散りばめられた表情の豊かさにはハっとさせれる。
そして、2枚目では、シューベルトの最後のソナタ、21番(disc.2, track.6-9)が取り上げられるのだけれど、シフの淡々とした演奏は、ますます極まるような印象があって、1828年シューベルトの最期の年に書かれたソナタの、ちょっと奇妙なあたりを、そのままに弾いてみせ、ちょっと悪目立ちするようでもあり... とはいえ、けしてエキセントリックに強調したりはしない。あくまで、淡々と... で、淡々の内に立ち現れる奇妙さは、おかしみに昇華され、何だか楽しい。そんな場面に出くわすと、思わずクスクスと笑いたくなってしまう。シューベルトがまたいたずらを仕掛けたと... しかし、21番のソナタって、そんな音楽だったっけ?いや、明らかに、それは、聴き知った21番なのだけれど、シフのタッチと、ピリオドのピアノがもたらすイメージの変容は驚くべきもので、まるで違う曲を聴いているかのような錯覚すら覚える。だから、妙に新鮮。それでいて、新鮮な21番が、親しみ深く思えて、不思議。これまでの、最後のソナタの堂々たる威容を、躊躇うことなく引き剥がして、ピリオドのピアノ、シューベルトの時代の響きによって、リアルなシューベルトを召喚する。淡々、のはずが、そこから生み出される変容はただならず、シフが奇術師のようにも感じられる。これが、円熟の先にあるテクニック?多くを語らず、薄味のようでいて、強いテイストを繰り出して、存分に聴く者を揺さぶって来る。で、揺さぶられて、腑に落ちるものがあって... 2枚組、最後に取り上げられる21番のソナタを聴き終えれば、そうだったのか... という思いが、心の中に満ちている。で、2枚組、その全てを振り返れば、まるでシューベルトと、ずっとおしゃべりをしていたような、そんな感覚もあったかもしれない。なればこその、そうだったのか... かなと... 何だか感慨深い。
さて、1枚目、「幻想」の後では、楽興の時(disc.1, track.6-11)が、2枚目、21番の前には、アレグレット(disc.2, track.1)と、D.935の即興曲(disc.2, track.2-5)が取り上げられて、ソナタばかりでないシューベルトのピアノの世界をより幅広く聴かせてくれる。特に、お馴染み、楽興の時、3番(disc.1, track.8)... いろいろなところで耳にしたキャッチーなメロディーと改めて向き合ってみると、何だか凄く新鮮。で、やはり、シフのタッチ、ピリオドのピアノがもたらす効果はしっかりとあって、いつもより人懐っこく感じられ、おもしろい。それから、即興曲の3番(disc.2, track.4)の、あのやさしいテーマも、何だかクラシックに思えないほどの気安さが漂い出し... その後の変奏も、ラグタイムのような雰囲気を漂わせたりと、驚かせてくれる。クラシックをクラシックっぽく弾くのではなく、シューベルトそのものに迫ろうとすると、かえって、いろいろな可能性が生まれるのかもしれない。それにしても、シューベルトのミクロコスモスは、どこか無邪気で、際限が無い。で、聴けば聴くほど、寄り添いたくなる。何とも言えない気の置け無さがある。というより、放っておけなくなる。これが、シューベルティアーデに付き合った友人たちの心持ちだろうか?ズルい。

FRANZ SCHUBERT
ANDRÁS SCHIFF


シューベルト : ハンガリーのメロディー D.817
シューベルト : ピアノ・ソナタ 第18番 ト長調 Op.78 D.894
シューベルト : 6つの楽興の時 Op.94 D.780

シューベルト : アレグレット ハ短調 D.915
シューベルト : 4つの即興曲 Op.142 D.933
シューベルト : ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960

アンドラーシュ・シフ(ピアノ : 1820年頃製、フランツ・ブロードマン)

ECM NEW SERIES/4811572