音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

シューベルト、19番と20番のピアノ・ソナタ。

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冬はピアノ... ということで、ピリオドのピアノによるシューベルトのピアノ・ソナタに始まり、フェルドマンの1950年代のピアノ作品、シャリーノの1990年代のピアノ作品と、ある意味、ピアノの際立った面を聴いて来た今月半ば... 際立ったればこそ、この楽器が持つ表情の幅、あるいは可能性を思い知らされた。ピリオドのピアノの、枯れたようなサウンドだからこそ克明となる作曲家(シューベルト)の心の内、たっぷりと間を取った抽象(フェルドマン)が引き立てるピアノの研ぎ澄まされた響き、研ぎ澄まされた響きを、静けさの中に浮かべて、滲み出す思い掛けない色彩(シャリーノ)。ただ打鍵するだけならば、初めてピアノに触れるキッズも、老練なヴィルトゥオーゾも、まったく同じ音を出せるピアノ。均質に音を出せるマシーンたる所以の凄さなのだけれど、それをも凌駕して行く作曲家たちの仕事であり、ピアニストの腕であり... 凄いピアノに、如何に挑もうか、そういう気概が、マシーンであることを越えてピアノの宇宙を拓き、ますます凄い!そうしたあたり、刺激的だなと...
さて、再び、シューベルトへ。アンドラーシュ・シフが、1820年頃製作のフランツ・ブロードマンのピアノで弾く、シューベルトの19番と20番のピアノ・ソナタに、4つの即興曲、3つのピアノ曲も取り上げる2枚組(ECM NEW SERIES/4817252)を聴く。

1990年代にシューベルトのピアノ・ソナタ全集を録音しているシフが、改めて、自らが所有する1820年頃製作のフランツ・ブロードマンのピアノを用いて挑んだ、先日、聴いた、18番と21番のピアノ・ソナタをメインとした2枚組。モダンのピアノから、ピリオドのピアノに変えての再録音。そこには、何か覚悟のようなものがあって、円熟の果てに啓ける、仙人のような眼差しが、インパクトのある演奏を展開していた... で、その続編、同じ楽器で弾かれる、19番と20番のピアノ・ソナタをメインとした2枚組を聴くのだけれど、また印象は変わるのか?1枚目、最初のD.899の即興曲(disc.1, track.1-4)。この作品が持つ平易さ、そこからのキャッチーさが、前作で聴かれた、仙人的、超然とした雰囲気を緩めるようで... いや、仙境から再び人間界へと戻って来たような、良い意味での普通さが漂う。もちろん、ピリオドのピアノならではの渋いトーンがあって、モダンのピアノに比べれば圧倒的に素朴な佇まいを見せて、特に表情に富む即興曲では、そうしたあたりが余計に際立つようにも思う。が、前作を経て、ピリオドのピアノとの向き合い方に余裕が窺えるシフのタッチ。即興曲の即興性をそのまま活かして、ひとつ肩の力が抜けた音楽を展開すれば、友人たちに囲まれる、どこか気安いシューベルトの人となりが浮かび上がるよう。例えば、シューベルトピアノ曲の中でも、ひと際、麗しい、3番(disc.1, track.3)... モダンのピアノだと、まさに流れるように響く左手による分散和音が、ピリオドのピアノだと響きは伸びず、一音一音がコロコロと転がり出し、何だか楽しげにすら感じられて... だからか、この曲、特有の、麗しさは、雲散してしまうものの、在りのままを、堂々と奏でるシフ。いや、雲散して、かえって音楽の形は明確になり、シフの確かなタッチは引き立ち、今さらながらに、そのすっきりとした指の動きに魅了される。そうして響いて来る思い掛けない心地良さ!ピリオドのピアノの音色こそ、冬枯れを思わせるものの、音楽自体は、どこか春めいて、軽快で、息衝く感覚すらある。この、そこはかとなしにある勢いに、シューベルトの若さを再確認させられる。そう、シューベルトは若かった...
続く、19番のピアノ・ソナタ(disc.1, track.5-8)は、D.899の即興曲の翌年の作品。それは、シューベルト、31歳の時の作品で、最期の年に書かれた3つの最後のソナタの1曲目。とはいえ、死の影は、まだ見えて来ない。と言うより、前年に世を去っていた、尊敬する、何より、お気に入りのベートーヴェンの音楽を再現するかのように、屈託無くベートーヴェン風の音楽を繰り出してしまうシューベルト(まだまだ、青い!)。D.899の即興曲に表れていた、折角のシューヘルトらしさが、勿体なく感じてしまう。が、やりたいようにやるのもシューベルトらしさ。解り易く、ベートーヴェンの影響を感じさせる重厚さを見せる1楽章(disc.1, track.5)。重厚なのだけれど、どこか飄々と音楽を繰り出して、妙に調子が良くもあり、だから、即興曲よりも即興曲っぽいところも... 一転、2楽章、アダージョ(disc.1, track.6)では、しっとりと、ポエティックに、シューベルトらしさが表れて、3楽章、メヌエット(disc.1, track.7)では、メヌエットらしい優雅さはよりも、民俗舞曲的な力強さを見せて、終楽章(disc.1, track.8)では、よりそうした色合いを強めてダンサブル。気が付けばロマン主義?この変わり身の早さにも、シューベルトの若さを見出せる気がする。そして、20番(disc.2, track.4-7)... 1楽章からは、間もなく死が訪れるなど、思いも付かない、瑞々しい音楽が響き出し、惹き込まれる。が、一転、2楽章、アンダンティーノ(disc.2, track.5)は、メランコリックに打ち沈んで、葬送を思わすトーンもあるのか... シューベルトらしい歌謡性にも彩られ、どこか、自虐的?これこそ、真骨頂?いや、魅惑的!で、3楽章、軽めのスケルツォ(disc.2, track.6)を挿んでの、終楽章(disc.2, track.7)!何ともやさしげで、ほのぼのとしたメロディーを、まるで、変奏するように、長大に織り成して、永遠に終わりが来ないような音楽を創出する。この天国的な様相は、最後の21番を準備するもの... それでいて、一歩一歩、天国への扉へと近付いているのが感じられて切なくなってしまう。
ピリオドのピアノ、作曲家が生きた時代へと迫るその響きは、モダンのピアノの、時間を経て得られた音楽的な洗練にはけして至ることはできないものの、洗練を纏わないからこそ、どこか、作曲家そのものを剥き出しにするようなところがあって、いろいろ感慨をもたらす。それを、如実に示す、シフのシューベルト... 前作に比べ、肩の力が抜けたこの続編は、より、何気なく、作曲家そのものに迫って、ハっと気が付いた時には、シューベルト、最期の年の心象が眼前に広がるようで、何か心が掻き回される思いがする。もちろん、慟哭するようなことはないのだけれど、というより、その真逆で、在るがまま、実に調子良く繰り出されるシューベルトの音楽。そうあることで際立つこの作曲家の無邪気さ... その無邪気が、やがて死に回収されるという現実の厳しさ... それを炙り出すようなシフのピアノ。小気味良く弾きながら、無常を見せ付けて来るようでもあり、シューベルトの無邪気さが、痛々しくさえ思える瞬間も... 聴き入ってみると、シフのピアノは、どこかシビア。一方で、ベートーヴェンから天国へ... 19番(disc.1, track.5-8)、20番(disc.2, track.4-7)と、そこはかとなしにドラマを綴るような展開を見せる巧みさも... 19番と、最後、21番の組み合わせでは、このドラマは生まれないのかもしれない。つまり、シューベルトの全てを読み切っているのだろうシフ... だからこそ、知らず知らずの内に、聴き手を、グイっと核心に引き入れる。円熟の果てに、運命の女神的なスケールで、シューベルトを捉え、聴き手を誘う、ただならぬ音楽性... 改めてシフの凄さに慄きすら覚える。そして、惹き込まれる。

FRANZ SCHUBERT ANDRÁS SCHIFF

シューベルト : 4つの即興曲 Op.90 D.899
シューベルト : ピアノ・ソナタ 19番 ハ短調 D.958

シューベルト : 3つのピアノ曲 Op.90 D.946
シューベルト : ピアノ・ソナタ 20番 イ長調 D.959

アンドラーシュ・シフ(ピアノ : 1820年頃製作、フランツ・ブロードマン)

ECM NEW SERIES/4817252