音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ヴァインベルク、室内交響曲。

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2019年は、ヴァインベルクの生誕100年のメモリアル。だったのですね... 年明けてから気付きました。で、凹んでおります。毎年末、来年、メモリアルを迎える作曲家には、誰がいるのかなァ~ と、ワクワクしながら調べるのですが、まさか、ヴァインベルクを見落とすとは... いや、まだまだマニアックとはいえ、ここ数年、明らかに再評価の機運が高まっているヴァインベルク。ECMクレーメルが、CAHNDOSでスヴェドルンドが、積極的にヴァインベルグを取り上げて来て、その音楽の魅力は、ジワジワと知られつつある?いや、ショスタコーヴィチの弟分にして、その延長線上で、もうひとつ洗練されたものを響かせるヴァインベルクの音楽は、なかなか魅力的。何より、20世紀の音楽が音楽史に回収され、現代音楽というフレームを外して見つめることができるようになって、初めて、近代以前の伝統が息衝くヴァインベルクの音楽は、輝き出すように感じる。
ということで、12月8日が誕生日だというから、生誕100年から、まだ2ヶ月は経っていないぞ!と、豪語の追い祝い... ギドン・クレーメル率いる、クレメラータ・バルティカの演奏で、ヴァインベルクの室内交響曲(ECM NEW SERIES/4814604)を聴く。

モイセイ・ヴァインベルク(1919-97)。
第一次大戦終結した翌年、1919年、独立して間もないポーランドの首都、ワルシャワで、イディッシュ劇場(東欧のユダヤ系の人々、アシュケナジムの言葉、イディッシュ語により演じ、歌われた、ユダヤ系の人々の民族的な劇場... )の指揮者で作曲家も務めていた父と、イディッシュ劇場の女優だった母の下に生まれたヴァインベルク(両親は、それぞれロシア帝国領の出身で、19世紀後半、ロシア帝国に広がったポグロム=ユダヤ人に対する迫害を逃れ、ポーランドに移住していた... )。12歳の頃からワルシャワ音楽院でピアノを学び始め、1939年、19歳の時に修了。が、その年こそ第二次大戦の開戦の年!ナチス・ドイツポーランドに侵攻して来ると、ソヴィエトに亡命(ポーランドに残った家族は、みな収容所に送られ、命を落とす... )。ヴァインベルクは、ポーランドの東隣、ベラルーシミンスク音楽院で作曲を学び始める。が、卒業の年、1941年に独ソ戦が始まると、ミンスクは陥落。ヴァインベルクは、またも東へと逃れることに... そうして行き着いた先が、当時、ソヴィエトの産業界の疎開先となっていた、中央アジアタシュケント(現在は、ウズベキスタンの首都... )。ここで、作曲家としての活動を本格化させると、その才能は、ショスタコーヴィチの目に留まり、1943年、23歳の時にモスクワへと移るチャンスが巡って来る。以来、13歳年上のショスタコーヴィチ(1906-75)と親交を結び、大きな影響を受けながら、ソヴィエトの音楽シーンの中心で活躍。しかし、それは、ショスタコーヴィチの音楽人生同様、体制に大きく左右されるもの... ショスタコーヴィチ以上に危険な局面(1953年、ユダヤ人憎悪を背景に持つ冤罪事件、医師団陰謀事件に巻き込まれ、一時、逮捕されてしまう... )を乗り越えながら、社会主義リアリズムの範疇で独特の洗練を極め、多くの作品を作曲(驚くべき多作家!)、ショスタコーヴィチ亡き後も、停滞して行くソヴィエトの体制下、東西の壁から漏れ聴こえて来る西側の"ゲンダイオンガク"など脇目も振らず、我が道を貫いた。
さて、ここで聴くのは、ソヴィエト崩壊前後に作曲された、弦楽オーケストラによる室内交響曲、全4曲。1番(disc.1, track.8-11)が、ソヴィエトに幕を引くことになるゴルバチョフ書記長が登壇した翌年、米ソ両首脳がレイキャビックで歴史的な会談を開いた1986年の作品。2番(disc.1, track.5-7)が、米ソ首脳会談を経て、中距離核戦力全廃条約が締結され、冷戦が事実上終了する1987年の作品。3番(disc.1, track.1-4)は、正式に冷戦終結が宣言されるマルタ会談の翌年、ソヴィエト連邦が瓦解する前年、1990年の作品。そして、4番(disc.2, track.6-9)が、ソヴィエト連邦に代わる独立国家共同体、CISが成立した翌年、混乱の中、新生ロシアが動き出した1992年の作品。ヴァインベルクを救い、また苦しめて来たソヴィエトの崩壊と、冷戦終結による平和、東西の障壁が消失し、流れ込む自由化の波... まさに激動の中で、ヴァインベルクはどんな音楽を書いたのか?とても気になるところだけれど、それは、至って通常運転。それまで通り、ショスタコーヴィチの延長線上にあって... ロシアらしい仄暗さと、ソヴィエトらしい乾いた感覚を孕み、ところどころ、ショスタコーヴィチのような鋭さも見せるものの、ショスタコーヴィチのように聴き手の心を抉るようなことはしない。つまり、体制下の優等生?厳しい中を生きて来て、そういう沁み付いた感覚もあっただろう。が、そればかりではない、この作曲家の美しいことへのこだわりもそこにはある。なればこそ、ショスタコーヴィチよりも瑞々しく、フル編成のオーケストラではなく、弦楽オーケストラによる混じりけの無い響きが、ある種の素直さに至って、不思議な魅力を放つ。それは、ちょっと映画音楽っぽいライトさも窺えて... ソヴィエトの崩壊なんて他人事のように展開するマイペース!どころか、ますます研ぎ澄まされるようでもあり、どこか澄み切った境地も響かせて、魅了されずにいられない。
一方で、時代の変革を窺わせるところも... それが、4番(disc.2, track.6-9)。弦楽オーケストラの演奏に乗って、クラリネットが活躍するのだけれど、そのクラリネットの存在が、クレズマー(アシュケナジムの人々のトラッドで、クラリネットとヴァイオリンが存在感を見せる... )の音楽をイメージさせ、2楽章(disc.2, track.7)では、民謡的なフレーズを勢いよく奏で、ヴァインベルクの、ユダヤ人としてのアイデンティティの表明に思えなくもない。で、それまでになく荒ぶるようなところがあって、どこか自棄っぱち?これまでに抱えて来た物が溢れ出すようなパワフルさも見せて... 続く、3楽章(disc.2, track.8)では、悲痛な中に自問するようなところがあり、終楽章(disc.2, track.7)では、再びクラリネットが民謡を思わせるメロディーを歌い出し、ソヴィエトに亡命する前の遠い記憶が呼び覚まされるのか?それまでのヴァインベルクの激動の人生を振り返れば、感慨を覚えずにいられない。という、晩年の作品の前で、モスクワに移って翌年、1944年の作品、ピアノ五重奏曲(disc.2, track.1-5)の、弦楽オーケストラによるヴァージョンが取り上げられるのだけれど、いやー、その音楽の若々しさたるや!ショスタコーヴィチの2番のピアノ協奏曲を思い起こさせるような、華麗なピアノと、擬古典主義的なモダニズムと、独特なチープ感が相俟って、盛り上げる!で、晩年の室内交響曲には無い元気の良さが魅力!一方で、ヴァインベルクの音楽の道筋はすでに示され、若くはあっても、その音楽、ソヴィエトらしく骨太。聴き応えは十分。なればこそ、ここから、如何にして洗練されて行ったか、その過程を思えば、切なくなってしまう。
そんな、ヴァインベルクの若かりし日々と晩年を、2枚組で聴かせてくれる、クレーメル+クレメラータ・バルティカ。やはり、ソヴィエトを生きたヴィルトゥオーゾクレーメルならではの思いの丈が詰まった2枚組と言えるのかもしれない。で、活き活きと室内交響曲とピアノ五重奏を繰り出すクレメラータ・バルティカの演奏がすばらしく... 彼らならではの透明感、そこから湧き出すような瑞々しさに耳が奪われ... なればこそ、ヴァインベルクの真実が詳らかになるようで... ピアノ五重奏曲と室内交響曲という、半世紀近くもの時間を経た作品を並べることで、見えて来るコントラストに、作曲家の数奇な運命をいろいろ考えさせられる。で、忘れてならないのが、ピアノ五重奏曲(disc.2, track.1-5)で、ピアノを弾くアヴデーエワ!弦楽オーケストラによるヴァージョンは、まさにコンチェルト... 彼女ならではの、豊かな、それでいて、深みのある響きが、作品のスケール感を、もう一段、上げ、見事。クレメラータ・バルティカの瑞々しさと、アヴデーエワの太さが、ソヴィエトの異様さと、ロシアの雄大さを絶妙に表現し切っていて、魅了されずにいられない。とはいえ、けして重苦しくはならないのが、ポスト・ソヴィエト世代ならでは... いや、それくらいの距離感があってこそ、ヴァインベルクの音楽性は、本領を発揮するようにも思える。クレーメルも、そうした新しい世代に委ねるようなところが見受けられ... 力むこと無く、在りのままを響かせて、かえってヴァインベルクに迫れているように感じる。

Mieczysław Weinberg Chamber Symphonies Nos. 1-4
Gidon Kremer Kremerata Baltica


ヴァインベルク : 室内交響曲 第3番 Op.151
ヴァインベルク : 室内交響曲 第2番 Op.147
ヴァインベルク : 室内交響曲 第1番 Op.145
ヴァインベルク : ピアノ五重奏曲 Op.18 *
ヴァインベルク : 室内交響曲 第4番 Op.153

ギドン・クレーメル/クレメータ・バルティカ
ユリアンナ・アブデーエワ(ピアノ) *

ECM NEW SERIES/4814604