音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ドビュッシー・ミーツ・ショパン。

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突然ですが、マリアージュ... フランス語で、結婚、のことだけれど、仏和辞典を開けば、組み合わせ、という意味も記載されています。だから、料理とワインの絶妙なマッチングとか、マリアージュ、と言ったりしますよね。いや、組み合わせ、なのだから、もっといろいろな場面で用いられるのか?ということで、クラシックではどうかなと思いまして... 思い掛けない組み合わせ、マリアージュが、新しいイメージを引き出す。より魅惑的に感じられる。なんてこと、あるんじゃないかなと... いや、クラシックは、もっと、そういう意識というか、遊び?みたいなものがあっても良いように思うのだよね... 前回、聴いた、トランスクリプションも、ある意味、作曲家とヴィルトゥオーゾの、マリアージュだった気がするし... そうあって輝き出すものがあったし、見えて来るものもあった!
ということで、マリアージュ... ハビエル・ペリアネスが弾く、ドビュッシーショパンに出会うアルバム、"... les sons et les parfums"(harmonia mundi/HMC 902164)。ショパンドビュッシーの聴き馴染んだ作品に、新たな感覚をもたらす1枚。

ショパン(1810-49)は、フランスとポーランドのハーフである。意外とこの視点が見過ごされている気がする(ショパンという名前はフランス名で、ポーランド風に発音するならば、ショペーンとなるとのこと... )。で、1831年、21歳の時にパリに移り、1849年、39歳で亡くなるまでの後半生、フランスがショパンの場所だった。もちろん、生まれ育ったポーランドへの愛は熱いものがあり、ショパンの音楽には、ポーランドの大地に根差したメロディー、リズムが欠かせない。そうしたあたり、国民楽派の先駆けとも言える。一方で、改めてその音楽を丁寧に聴いてみると、ショパンならではの繊細さ、ピアノという楽器から存分に引き出される色彩感には、フランス的なものも見出せる気がする。対して、ドビュッシー(1862-1918)... 言わずと知れた生粋のフランス人。そんなドビュッシーの経歴で、興味を引くのが、コンセルヴァトワールへと通っていた学生時代、夏休みに、チャイコフスキーパトロンとして知られるフォン・メック夫人(バルト・ドイツ貴族、ロシアの鉄道王の未亡人... )の下でピアニストのバイトをしていたこと... これにより、ロシアの音楽に触れる機会を得たドビュッシーは、ムソルグスキーなど、西欧の感性とは一味異なる音楽(近代音楽の種?)から刺激を受けている。東から西へ、西から東へ... ヨーロッパをそれぞれに移動したショパンドビュッシー。両者の音楽には、東西、異なる文化、感性のマリアージュが存在しているのかもしれない。そんな2人... ロマン主義に、印象主義、一見、交わらないように思える両者の音楽だけれど、それぞれのマリアージュを丁寧に紐解けば、響き合うものを見出し、そこにまた新たなマリアージュを成す可能性が浮かび上がるのかも... と、大胆に、ドビュッシーショパンを出会わせたペリアネス!
ショパンの「子守唄」に始まり、ドビュッシーの「月の光」(track.2)が続いて、再び、ショパン、そして、ドビュッシー... 全14曲、律儀に、交互に弾く、ペリアネス。もちろん、単に交互に並べるだけでなく、おやすみの前の「子守唄」の後で、夜、静かに水面に輝く「月の光」と、ショパンドビュッシーの間に、丁寧につながりを作り、まさにショパンドビュッシーのマリアージュを聴かせて行く。いや、その最初から、惹き込まれる!まどろみの中、美しいピアノがキラキラと輝いていたのが、やがて夢の世界へと誘われるかのような、「子守唄」からの「月の光」... もう、ため息が出てしまう。それでいて、あまりにナチュラルにショパンドビュッシーが結ばれてしまうことに驚きを覚え... そればかりでなく、共鳴し、新たな音楽像がこのアルバムに生まれており... 練習曲に練習曲、前奏曲前奏曲が当てられ、ショパンドビュッシー、それぞれの時代性、音楽性の対比も卒なく示しながら、両者の共通項を探ることに重点を置くペリアネス。そこから見えて来るものは、両者の、ピアノという楽器が持つ輝かしさ、美しさへのこだわり... で、おもしろいのは、そうしたサウンドに触れていると、フランス・クラヴサン楽派の音楽が思い出されること... クラヴサンという楽器の繊細さを活かして紡ぎ出された、18世紀、フランスのギャラントが、ショパンのフランス性、近代を拓くドビュッシーの音楽に受け継がれているようで、興味深い。ショパンが活躍した時代、すでにロマン主義が到来していたものの、未だ18世紀の残り香(パリの楽壇の中枢には、ケルビーニやレイハといった18世紀生まれの巨匠が健在... )も漂っていただろう、またドビュッシーはアンチ・ロマン主義として古楽にも関心を持っていたわけで... となると、両者を結び付けるものは、ある種の古風さだろうか?けど、そうあることで、かえって時代を超越する感覚が広がり、新しさすら感じられるから、おもしろい。
しかし、その魅惑的な美しさは、理屈抜き!このアルバムのタイトル、"... les sons et les parfums"、響きと香りは、ドビュッシー前奏曲集、第1巻、「夕べの大気に漂う音と香り」から採られたものだけれど、いや見事にこのアルバムの雰囲気を捉えていて... ピアノの美しい響きは、ふわーっと夕闇迫る大気へと溶けてゆき、やがて夜を迎えれば、星の瞬きのようにキラキラと輝き出す。目を閉じて、静かにペリアネスによるマリアージュを聴いていると、そんなイメージに包まれるよう。すると、もはや、ショパンとか、ドビュッシーとかは関係無く、ただ音楽として、得も言えず芳しく、タイトルの通り、響きと香りこそが耳を捉え、心地良く酔わせてくれる。で、そんなイメージへと誘う、曲の並べ方も絶妙で、「夕べの大気に漂う音と香り」(track.10)に続いての夜想曲(track.11)、からの「月の光が降り注ぐテラス」(track.12)... そして、「舟歌」(track.13)から「喜びの島」(track.14)と、まるで連歌のよう。巧みにイメージがつなげられ、そして、より喚起され、映像を思わせる流れを創り出す。そういう点で、このマリアージュは、ドビュッシー寄りか... いや、ショパンの中にも、印象主義を思わせる描写性が含まれるあるということであって、そうした部分が刺激されることで、ショパンドビュッシーという既存のイメージは溶けて、音楽が瞬き出す!何と言うファンタジー!マリアージュがもたらす、魔法。
そんな、"... les sons et les parfums"を聴かせてくれるペリアネス。そのタッチは、どこかピアノらしさを超越するようで、ちょっと不思議... 彼らしい、強く打鍵しない、繊細さが生む魔法。ピアノの、マシーンとしての、ある種の硬質さがフっと消えて、一音一音から、清廉な瑞々しさが放たれる。そのサウンドは、明らかにピアノなのだけれど、ピアノとしての癖が取り払われるようで、"... les sons et les parfums"、まさに、響きと香りこそを抽出して来る。だから、ポンと発音された瞬間、ペリアネスによって鳴らされたサウンドは、本当に大気に溶けてしまうようで、ファンタジック。そして、得も言えぬ余韻を残す... これが、香りか... 儚げですらある、その独特な存在感、癖の無さが、ショパンドビュッシーの距離を詰めて、マリアージュを説得力のあるものとする。いや、両者は、出会うべくして出会い、ペリアネスによってひとつとなり、また新たな音楽として再生されるかのよう。このブランニュー感たるや!定番のメロディーもいろいろ登場するのに、思い掛けない新鮮さで充たされる、"... les sons et les parfums"。それは、どこか遠くから響いて来るような... 浮世離れした美しさがある。だから、浮世の諸々を、しばし忘れさせてくれる。

... les sons et les parfums JAVIER PERIANES DEBUSSY meets CHOPIN

ショパン : 子守唄 変ニ長調 Op.57
ドビュッシー : ベルガマスク組曲 より 「月の光」
ショパン : 練習曲 変イ長調 Op.25-1 「エオリアン・ハープ」
ドビュッシー : 練習曲 第11番 「アルペジオのための」
ショパン : バラード 第4番 ヘ短調 Op.52
ドビュッシー : 前奏曲集 第1巻 「音と香りは夕べの大気の中に漂う」
ショパン : 華麗な縁舞曲 第3番 イ短調 Op.34-2
ドビュッシー : レントよりも遅く
ショパン : 前奏曲 第2番 イ短調 Op. 28
ドビュッシー : 前奏曲集 第1巻 「デルフォイ舞姫
ショパン : 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 Op.15-2
ドビュッシー : 前奏曲集 第2集 「月の光が降り注ぐテラス」
ショパン : 舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
ドビュッシー : 喜びの島

ハビエル・ペリアネス(ピアノ)

harmonia mundi/HMC 902164