音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ジェズアルド、聖週間の聖務日課のためのレスポンソリウム集。

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さて、四旬節に入りました。音楽史の中をフラフラ、フラフラしております当blog... すると、ちょくちょく出くわすのが、この"四旬節"というワード。キリストの復活を祝う復活祭(今年は、4月12日の日曜日!)の前、灰の水曜日(今年は、先日、26日の水曜日... )に始まる、キリストの受難へ思いを寄せる46日間... 肉を絶ち(だから、その前に謝肉祭があるわけよ... )、静かに祈りを捧げるのが、四旬節。となると、オペラなどはもってのほか!けど、聖譚劇=オラトリオならOK。何より、静かに祈るための音楽がいろいろ作曲され、音楽にも大きな影響を与えた四旬節。そんなこんなで、キリスト教徒ではございませんが、いつの間にやら馴染み深くなってしまった?いや、四旬節に、教会音楽を聴くというのもまた、乙?交響曲だ、オペラだと、華やかな音楽を聴くばかりでなく、静かな祈りの音楽を聴く期間があっても良いのかも... そして、何より、今こそ、祈りの音楽かなと...
ということで、四旬節の山場、聖週間のための音楽... フィリップ・ヘレヴェッヘ率いる、コレギウム・ヴォカーレの歌で、ジェズアルドの聖週間の聖務日課のためのレスポンソリウム集(PHI/LPH 010)。肺炎平癒とウィルス退散の祈りを籠めて聴いてみる。

ジェズアルド(1566-1613)というと、どうしても妻殺しのイメージが付き纏う... そこに、不協和音や半音階を用いる独特な音楽性が重なって、ヘヴンリーなルネサンス・ポリフォニーの時代の最後に、一種異様なインパクトをもたらす。いや、どこかキワモノ的な捉えられ方も無きにしも非ず?なのだけれど、今一度、その存在を丁寧に紐解くと、時代を超越する可能性を見出し、興味を引かれるものがある。で、まず、その妻殺しなのだけれど、事件は1590年、ジェズアルド、24歳の年に起こる。身持ちの悪い妻が、不倫相手との関係を隠さなくなったがために、当時の不貞のけじめとして、不倫相手ともども殺されている。それは、当時の人々を沸かせるスキャンダル(ワイドショーなんて無い時代も、痴情の縺れというのは、格好のネタ!)ではあったものの、ジェズアルドの猟奇性が妻殺しに至ったとか、そういうことでは一切無い... が、以降、ジェズアルドは、妻殺しの事実を背負い続け、その性格には暗さが垂れ込める。そんなジェズアルドも、1594年には、再婚を果たす。その相手が、フェッラーラ公の姪(フェッラーラ公国のお姫様と再婚するほど、ナポリ王国の貴族、ヴェノーサ公、ジェズアルドもまた由緒正しきお家柄... )。この結婚により、フェッラーラの宮廷に滞在する機会を持ったジェズアルドは、かつてジョスカン・デ・プレ(ca.1450-1521)が楽長を務めたルネサンスポリフォニーの拠点のひとつ、フェッラーラの宮廷音楽(当時は、"コンチェルト・デッレ・ドンネ"という3人のソプラノからなるヴォーカル・アンサンブルが活躍しており、マドリガーレの分野で大いに注目されていた... )から大いに影響を受けている。ナポリから東へ60Kmほど行った片田舎、家名となった町、ジェズアルドの城に暮らすジェズアルドにとって、フェッラーラは、創意に溢れる場所だったろう... また、フェッラーラのある北イタリア一帯には、すでにルネサンスポリフォニーを脱する新しい音楽が胎動しており、そうした最新の動向も刺激となったはず... そうしたものが総合されて、生み出されるのが、1611年に出版された、ここで聴く、聖週間の聖務日課のためのレスポンソリウム集。
始まりの、聖木曜日のためのレスポンソリウム(disc.1, track.1-9)... ルネサンスのイメージを裏切らず、厳かに始められる荘厳なポリフォニーに、身が浄められる思い。しかし、時代は、すでに17世紀(バロックの朝陽はすでに昇り始めており... )、ルネサンスポリフォニーをただ繰り広げるというだけではなくて、パレストリーナ様式の整理された次世代ポリフォニーを意識させられ、またホモフォニックにも歌い、ふわーっとヘヴンリーなルネサンスの教会音楽から一歩を踏み出して、ジワっとエモーショナルにも響くのが印象的。で、それは、時として、現代音楽の合唱作品を思わせるところがあって、おおっ?!となる。2曲目、「私の魂は悲しみに満ち」(disc.1, track.2)の、ホモフォニックに歌われる部分の吸い込まれそうな瑞々しさには、間違いなくルネサンス離れした感性を見出せる!いや、度々、訪れる、時代を超越してしまう表情に、ジェズアルドの凄さを感じてしまう。フェッラーラにおけるルネサンスの洗練と、北イタリア一帯に広がり始めた新しい音楽を吸収し、そこから、独自の音楽へと昇華してみせたジェズアルド... 下手に大胆になるでもなく、かと言って、過去に留まらないマイペースさは、独特。過渡的とはまた違う、何か異なる次元へと至ったかのような音楽であり、ジェズアルドの時代、ルネサンスの音楽、初期バロックの音楽を思い起こせば、不思議。で、それを実現し得たのが、ジェズアルドを特徴付ける貴族という境遇... ヴェノーサ公、ジェズアルドは、職業作曲家ではない。だから、同時代のどの作曲家も持ち得なかった創作の自由を手に入れていた。そうして生み出される響きの、我が道を行っての揺ぎ無さが、ただならない。今、改めて聖週間の聖務日課のためのレスポンソリウム集を聴いてみれば、そここそが、凄い、インパクトを放っているように感じる。純然たる芸術家、ジェズアルドによる17世紀の異次元?いや、創作の自由って、雄弁!
とはいえ、きっちりと教会音楽として機能する音楽を書いているジェズアルドでもあって... 聖週間の聖務日課のためのレスポンソリウム集、その名の通り、四旬節の山場、聖週間、その後半、"聖なる三日間"で歌われるレスポンソリウムは、最後の晩餐の日、聖木曜日(disc.1, track.1-9)、イエスの受難の日、聖金曜日(disc.1, track.10-18)、復活祭の前日、聖土曜日(disc.2, track.1-9)と、それぞれに異なる三日分のレスポンソリウ(独唱と合唱の応唱... )から成り、それは、けしてコンサート用の合唱作品ではなく、領地のジェズアルドの教会、ヴェノーサの教会で歌うための音楽。また、妻殺しを経験して、より信仰と向き合うところもあっただろう。母方の叔父には、列聖されたミラノ大司教、カルロ・ボッローメオ枢機卿(音楽史的には、教会音楽の改革が議題に上がったトリエント公会議で重要な役割を果たした人物で、プフィッツナーオペラ『パレストリーナ』にも登場... )がおり、さらに、母の伯父、つまりジェズアルドの大伯父には、ローマ教皇、ピウス4世(在位 : 1559-65)がいる。ただ由緒正しいのではなく、ローマ教会の中枢ともつながっていたジェズアルド... また、この人が生きた時代は、対抗宗教改革の時代でもあって、教会への意識、祈りへの熱量は高かっただろう。聖週間の聖務日課のためのレスポンソリウム集に漂うエモーショナルさには、そうしたものがそこはかとなしに感じられる。もちろん、バロックの直截的なドラマティックさとは違うものの、ア・カペラの清廉さの中に、何とも言えない熱さを見出せるのが興味深い。そして、そうあることが、教会に留まらない魅力的な音楽へと至らしめている。
で、それを際立たせるのが、ヘレヴェッヘ+コレギウム・ヴォカーレ!いつもながらの、クリアな歌声... その美しいハーモニーには、魅了されずにいられない。のだけれど、何より印象深いのが、ヘレヴェッヘならではのニュートラルなアプローチ。その音楽の背景にあるだろうストーリーを、一度、断ち切って、スコアにあるのみをただ再現する。すると、音楽そのものの魅力がふわっと引き立って... おもしろいのは、そうなって、ますますジェズアルドのおもしろさが際立つこと!ルネサンスからバロックへとうつろう頃を生きながら、マイペースを貫いての独特さを、ありのままに歌い、そこから、バッハを思わせるユニヴァーサルさが広がり、現代の合唱作品のようなヴィヴィットさが放たれて、いや、いつの時代の音楽を聴いているのか攪乱されるよう。一方で、コレギウム・ヴォカーレの歌声には、ルネサンスの最後を彩ったマニエリスムのちょっとダークなトーン、それから対抗宗教改革の時代の熱っぽさも籠められるのか、清廉さの中にも、濃密なものが宿り、聴き手を揺さぶって来る。それは、ただ美しいだけでない、ただ祈るだけでない、感情に訴え掛けてパワフルさで、ジェズアルドの独特をさらに強調... そうして生まれる雄弁さたるや!そんな音楽に触れていると、何かカタルシスのような感覚を味わう。味わって、ちょっとした忘我の境地に... そう、しばし、現実を忘れよう。

Collegium Vocale Gent - Herreweghe Carlo Gesualdo Responsoria 1611

ジェズアルド : 聖木曜日のためのレスポンソリウム
ジェズアルド : 聖金曜日のためのレスポンソリウム

ジェズアルド : 聖土曜日のためのレスポンソリウム
ジェズアルド : ほめたたえよ、イスラエルの神である主を
ジェズアルド : 神よわれを憐れみたまえ

フィリップ・ヘレヴェッヘコレギウム・ヴォカーレ・ゲント

PHI/LPH 010