音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

クープラン、ルソン・ド・テネブル。

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音楽室に居並ぶ肖像画に、女性はひとりもいなかった。クラシックは、やっぱり、男の世界なのだ。という固定概念が、数こそ少ないものの、音楽史上における女性たちの活躍を、隠してしまってはいないだろうか?前回、聴いた、17世紀、イタリアのシスターたちの作品に触れると、ふとそんなことを思う。いや、音楽史における女子修道院の存在が気になってしまう。中世には、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンという伝説的なシスターもおりました。教会での祈りに音楽が欠かせなかったことを鑑みれば、シスターたちによる独自の音楽文化は脈々と紡がれていたはず... また、そこから生まれた音楽が、出版という形で広く世に知らされていた史実もあって、今年、生誕400年を迎えたシスター、イザベッラ・ベルナルダの、1693年に出版されたソナタなどに触れれば、女子修道院における音楽環境の充実を窺い知ることができる。ということで、イタリアからフランスへ... フランスの女子修道院、さらに、女子寄宿学校で歌われた、聖週間のための音楽を聴いてみる。
ということで、女声による美しい音楽... ヴァンサン・デュメストル率いる、ル・ポエム・アルモニークの歌と演奏で、クレランボーのミゼレーレと、クープランのルソン・ド・テネブル(Alpha/Alpha 957)。この四旬節、美しい祈りの音楽で乗り越えましょう。

まずは、クレランボー(1676-1749)... オルガニストとして活躍し、太陽王ルイ14世(在位 : 1643-1715)の最後の愛妾、マントノン夫人(1635-1719)に仕え、そのマントノン夫人が創設したサン・シールの寄宿学校の音楽教師(1714-21)を務めたのだけれど、そのサン・シールの寄宿学校というのが、なかなか興味深い存在で... 元々、太陽王庶子たちの養育係だったマントノン夫人(その手腕が間もなく太陽王の目に留まり、派手なモンテスパン夫人に替わり、愛妾に... 1683年、王妃が亡くなると、しばらくしてから秘密結婚。それほど、太陽王から信頼されていた... )は、1684年、身分は高いものの経済的に恵まれない子女(絶対王政が確立されるのとは裏腹に、没落する貴族も多数... )のために聖ルイ王立学校を創設。やがて、学校は、ヴェルサイユの西隣、サン・シールに移り、ヴェネツィアの慈善院、オスペダーレとまでは行かないまでも、音楽教育に力を入れ、女性たちによる独自の音楽の伝統が紡がれていた。そして、クレランボーも、サン・シールの女学生たちのために多くの作品を書いている。で、ここで聴く、ミゼレーレ(track.1-6)も、おそらくそうした作品のひとつだろうと考えられており、聖週間で歌うために書かれた作品... ソプラノと2人のメッゾ・ソプラノによるソロと重唱からなる音楽は、聖週間らしい、慎ましやかなトーンに包まれるのだけれど、フランスらしい色彩に富む響きもあり... いや、のっけから不協和音を含んで、何とも悩ましかったり... ミゼレーレ、主よ、我を憐れみたまえ、その哀願が生む悩ましさに、ゾクっと来るような瞬間が度々... ヴェルサイユでの華麗な音楽とは違う、何とも言えない裏寂しさ。貴族にして貧しいという少女たちの哀れ... だろうか?もちろん、宮廷の保護下にあって、困窮するようなことはけして無かったわけだけれど、何とも言えない寂しさが広がり、また、対抗宗教改革の時代のイタリア・バロックが見せた法悦と共鳴するようで、濃密かつ狂おしい!フランス音楽は、常にナショナリスティックで、内向き。が、密かに外への関心も強い... フランス・バロック、最右翼、リュリが失寵すると、フランスの音楽は規制緩和の方向(例えば、イタリア仕込みのシャルパンティエが表舞台へ!)へ。クレランボーの音楽に滲むイタリアっぽさも、そうした流れによるものか... いや、フランスらしさにイタリア的な感性が融け込んで生まれる濃さは、ちょっとただならない...
からの、クープラン(1668-1733)。フランス・バロック、屈指の美しさを誇る、3つのルソン・ド・テネブル(track.7-23)。パリ郊外にあったロンシャン女子修道院のために書かれたこの名作もまた、聖週間のための音楽。で、ソプラノの独唱による第1(track.7-12)、第2(track.12-17)に、ソプラノの二重唱による第3(track.18-23)からなり、クレランボー同様、慎ましやか... なのだけれど、クレランボーのミゼレーレの悩ましさからは、すっかり、解脱、浮世の煩悩からは切り離され、純粋無垢にして、天上を思わせる美しさに包まれる。いや、このコントラストがなかなかおもしろい!濃密なクレランボーに対し、エアリーなクープラン。そういう点で、よりフランス的なクープラン?いや、話しはそう単純でもなく、ポスト・リュリ世代にあたるクープランもまた、イタリアから多分に影響を受けた作曲家。コレッリが完成させるトリオ・ソナタに心酔し、そのロジック、イタリアの最新の対位法を積極的に自らの音楽に導入。それは、この3つのルソン・ド・テネブルにも反映され、声のためのトリオ・ソナタのような、整理された音楽を聴かせる。だから、クラレンボーのように濃くなったりしない。それどころか、澄み切っている。澄み切っているからこそ、声はただならず引き立ち、圧巻の広がりを見せる。声を支える楽器は、ヴィオールに鍵盤楽器(クラヴサン/オルガン)、そしてテオルボのみ... なのだけれど、その数のイメージを越えて、スペイシー!改めて聴いてみると、そのスペイシーさに、息を呑む。で、それは、もはや、フランスでもイタリアでもないような... もちろん、フランスならではの色彩、メローさがあり、そこに、イタリアのロジックが、見事、合致してのスペイシーなのだけれど、合致したら、何物でもなくなるという魔法!本当にバランスが良いのだと思う。そして、魔法が生む、圧倒的なる法悦!何たる音楽だろう。目を閉じれば、天上が見えそうな美しさ、ため息しかない。
そんな、フランス・バロックの女子寄宿学校、女子修道院のために書かれた音楽を聴かせてくれた、デュメストル+ル・ポエム・アルモニーク。やはり、まず耳に残るのは、3人の歌手による歌声... ベンナーニの天使のようなソプラノ、ルフィリアトルの艶やかな、ドゥルエの深さを感じさせるメッゾ・ソプラノと、それぞれに美しいのだけれど、彼女たちの声が重なった時の、この世ならざる存在!重唱で聴かせるクラレンボー(track.1-6)では、一丸となった歌声に、眩暈を起こしそう。美しいのだけれど、じわっと心を浸食してくるような重みのあるハーモニーに、ただただ魅了されるばかり... クープランでは、第1(track.7-12)、第2のルソン・ド・テネブル(track.12-17)で、それぞれに伸びやかな歌声を存分に聴かせ、また魅了して... いや、エフォートレスなその歌声の伸びに、吸い込まれそう。一方、彼女たちに寄り添う、アブラモヴィッチヴィオール、リヴォールのクラヴサン/オルガン、デュメストルのテオルボの3人、ル・ポエム・アルモニークの器楽部隊。それぞれに、滋味溢れるサウンドを響かせ、気の置け無さも漂わせるも、3人とは思えない広がりも聴かせ、何だか凄い。スペイシーかつ、人懐っこさもある不思議。なればこそ、惹き込まれ、感動を引き出す。いや、"女子"に限定された、ある種、閉塞的な空間が生み出す独特な、それでいて一筋縄には行かない空気感がこのアルバムからはこぼれ出す。慎ましさ、麗しさ、秘めた熱っぽさ、人懐っこさ、ある意味、正直な音楽なのかも...

CLÉRAMBAULT MISERERE COUPERIN LEÇONS DE TENÉBRES
Le Poème Harmonique - Vincent Dumestre


クレランボー : ミゼレーレ
クープラン : 3つのルソン・ド・テネブル

ハスナー・ベンナーニ(ソプラノ)
クレール・ルフィリアトル(メッゾ・ソプラノ)
イサベル・ドゥルエ(メッゾ・ソプラノ)
ヴァンサン・デュメストル/ル・ポエム・アルモニーク

Alpha/Alpha 957