音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

ニューヨーク、ライク、RADIO REWRITE...

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暑いと、つい、さっぱりしたものを選びがちに... ということで、ここのところよくそばを食べております。お気に入りは、家で、簡単、冷やしたぬき!どんぶりに、だしの素、1袋、砂糖、小さじ1、こぶ茶、小さじ1に、お湯を注ぎ、蓋をして、少し置いたら、麺つゆ、大さじ1を加えて、氷を浮かべて、冷ましたところに、茹でたそばを投入、ねぎに、揚げ玉をトッピング、わさびをチョロっと添えて、はい出来上がりぃ。いや、ほとんどインスタントっぽいよな... けど、そういうのが、夏にはしっくり来る。でもって、夏の楽しみ!暑いからさっぱり、は、逃げでは無くて、楽しみだと思う。そして、音楽もまたしかり(って、ちょっとこじ付け?)。ポスト・ミニマル世代、アラスカのアダムズ、カリフォルニアのアダムズの音楽を続けて聴いて、耳からもさっぱりしております、今日この頃... シンプルなフレーズ、クリアなハーモニー、小気味良く刻まれるリズムは、いわゆるクラシックの音楽のヘヴィーさの対極に在って、ライト。そのライトさに救われすらする。それでいて、ちょっとエナジー・ドリンクっぽさもあったり?
さてさて、ポスト・ミニマル世代を聴いたら、ミニマルの核心世代も聴きたくなるというものでして... ブラッド・ラブマン率いる、アンサンブル・シグナルの演奏で、ライヒのダブル・セクステッドとレディオ・リライト(harmonia mundi/HMU 907671)を聴く。
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ポスト・ミニマル世代が、今や巨匠という21世紀であります。となれば、ミニマル核心世代は... いや、音楽史というのは、遠い過去のことを語るもののようで、間違いなく、我々の現在地と地続きであって、今となっては、戦後生まれのミニマリズムも、古典の内にあると言えるのかもしれない。そもそも、戦後74年... すでに74年と言うべきか、とっくに74年と言うべきか... ウィーン古典派、最後の巨匠、ベートーヴェン(1770-1827)の死の年、1827年から、74年を遡ると、それは、バッハ(1685-1750)の死から3年後にあたる。そして、ヘンデル(1685-1)は、すでに作曲から離れていたものの、まだ健在で、ラモー(1683-1764)に至っては、現役バリバリでオペラに取り組んでいた。そう、ベートーヴェンの死から74年を遡ると、バロックはまだ息衝いており、74年後との風景の違いは、隔世の観がある。となれば、ミニマリズムもまたしかりで... 今やミニマル・ミュージックの傑作が次々に生み出された1960年代から、半世紀が過ぎ、ミニマル・ミュージックの大家たちも、それぞれに作風を変化させている。で、おもしろいのは、大家たちの作風が、ポスト・ミニマル世代のミニマル進化形に合流しつつあること... 老いては子に従え、だろうか?いや、時代はうつろい、ミニマル・ミュージックの実験性が薄れた今、大家たちのしなやかな変化に、かえってクールなものを、現代的なものを感じてしまう。そんな大家のひとり、ライヒ(b.1936)の、21世紀に入ってからの作品、2007年の作品、ダブル・セクステット(track.1-3)と、2012年の作品、レディオ・リライト(track.4-8)に注目... いや、大家の変化、そこにしっかりと聴き取れる!
ということで、まずはダブル・セクステット(track.1-3)。2009年のピューリッツァー賞(音楽部門)を受賞した作品は、ピアノ、ヴィブラフォン、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、フルートによる六重奏が、タイトルの通り、ダブル=2つ並び、ピアノ、ヴィブラフォンが刻む、軽快なリズムに乗って、音楽をやり取りする作品。で、ライヒらしい、小気味良いリズムが、聴く者に得も言えぬ高揚感を与え、ミニマルならではの魅力で、グイっと惹き込んで来る。けれど、そこには、かつてのライヒのような、厳密なるミニマリズム(あのサイケな感じ... )は存在せず、ミニマル風で、颯爽とした音楽を繰り出し、21世紀のデジタルでスタイリッシュな都会的な雰囲気に彩られつつ、2つの六重奏がやり取りする姿には、どこかコール・スペッツァーティ=複合唱(ルネサンス後半、ヴェネツィア楽派が至った新たなポリフォニー... )の面影を見出せるようで、おもしろい。聴こえて来るサウンドは、間違いなく、ジャスト現代な印象を受けるのだけれど、古いシステムを起動させているようで、また、そうすることで、より音楽らしさを取り戻してもいて、間違いなく聴く者に訴え掛ける力を強めている。このバランスがたまらない...
という延長線上にあって、ミニマルからより音楽へ踏み込んだのが、レディオ・リライト(track.4-8)。何と!レディオ・ヘッドのナンバーをリライトしようという意欲作!この作品を書くにあたり、ライヒはレディオ・ヘッドの"Everything in Its Right Place"(アリソン・デュボワを思い出しちゃうよ... そうか、この音楽、ライヒっぽかった... )と、"Jigsaw Falling into Place"からインスパイアされたとのこと... で、"Jigsaw Falling into Place"が素材として用いられるのか、けど、あくまでリライトであって、ライヒ流に貫かれているのだけれど、明らかにメロディック!それは、フレーズを越えて、メロディーを紡ぎ出し、時としてエモーショナルなほどに聴き手に訴え掛けて来る。レディオ・ヘッドにインスパイアされると、ライヒもここまで変化を見せるのか... いや、その音楽、これまでのライヒになくキャッチーで、魅了されずにいられない。そして、現代音楽という枠組みをふわっと消し去って、真に現代的な音楽を響かせるようで、戦後の現代音楽の歩みから、とうとう解き放たれるような感覚が広がる。そうか、21世紀とは、こういうものか... コーリ・スペッツァーティが繰り出されて、バッハがいて、ベートーヴェンがいて、そして、戦後「前衛」が暴れて、ミニマリズムがスパークして、今、21世紀、ライヒがレディオ・ヘッドをリライトする。我々の現在地へと至る音楽史が、確かに感じられ、何とも感慨深い。
という、21世紀のライヒを聴かせてくれたラブマン+アンサンブル・シグナル。過不足無く、ライヒならではの音楽を鳴らして来るのだけれど、その演奏は、ミニマル・ミュージックの精緻さばかりに重きを置くものではないようで、そのリズム、サウンドには、少し重みが感じられ、その重みが音にテイストをもたらして、なかなか興味深い。そういうテイストがライヒの音楽に、より現代音楽とは違うトーンをもたらすようで、ただクリアなだけではない魅力を聴かせてくれる。ミニマル・ミュージックの大家の変化を、よりセンシティヴに捉え、ポジティヴに繰り広げる演奏と言えるのかもしれない。だから、ライヒの音楽が、レディオ・ヘッドと遜色無く、響き出す。その新鮮さ!瑞々しい姿に、強く魅了されてしまう。
STEVE REICH DOUBLE SEXTET / RADIO REWRITE
ENSEMBLE SIGNAL Bradley Lubman


ライヒ : ダブル・セクステット
ライヒ : レディオ・リライト

ブラッド・ラブマン/アンサンブル・シグナル

harmonia mundi/HMU 907671