音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

シベリウス、1番、未純化な状態が生む情念の交響曲。

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この間、『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(花田菜々子著)という本を読む。「出会い系」という響きが、なかなかスパイシーなのだけれど、そういうスパイシーさとは裏腹に、斜陽産業、"本"業界で、苦闘し、疲弊して行く、ヴィレヴァン店長、菜々子さんが、出会い系サイトで、70人と実際に会って、その人に合いそうな本をすすめまくって、再び"本"への愛を再確認して行くという、思いの外、実道な物語(いや、実録モノ... )。いや、"本"の話しのようで、実は、現代社会に横たわる断絶を、勇気を持って乗り越えて、人と人とのつながりを再構築していくことこそがテーマなのかも... でもって、菜々子さんの人とのつながりが再構築されて、再び、"本"の存在は輝き出し、何か未来に明るさが見えて来るのだよね。そして、いろいろ考えさせられました。これが、"本"ではなく、"クラシック"だったら... 何ができるだろう?
とりあえずは、目の前の事をやる!ということで、前回に続き、若きマエストロを取り上げます。フィンランドの俊英、サントゥ・マティアス・ロウヴァリ(b.1985)率いる、イェーテボリ交響楽団の演奏で、シベリウスの1番の交響曲(Alpha/Alpha 440)を聴く。
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しかし、暑いですね。暑過ぎる。そんな時には、音楽に涼を求めて、北欧の音楽!なんて、つい考えちゃうのですが、今回、聴く、シベリウスの1番の交響曲は、裏腹に熱いです。1899年、その完成時、33歳だったシベリウス、まだまだ若かったか、体温高め?というより、19世紀、ロマン主義の濃厚さがまだまだ息衝いていて、暑苦しいくらい... いや、いいんです!暑い時に熱い音楽!そこに、若きマエストロの熱いパッションが、さらに熱量を加えて、オーケストラの、そして、聴き手のテンションをグイグイと引き上げる!とはいえ、それは、ただ熱いんじゃない... 何だろう?この感覚。「熱い」からと言って、けして、勢い任せではなく、北欧ならではの透明感を活かしつつ、その透明感に可能な限り温度を籠めて来るとでも言おうか... ギリギリを攻めて、最大限のサウンドを引き出すロウヴァリ。若手指揮者のフレッシュなイメージ、次世代マエストロの現代っ子感覚とも違う、精緻にして圧倒的なる大物感にびっくりさせられる。「熱い」なんて言うと、デジタルな21世紀、古臭い印象すらあるけれど、けして古臭いとは思わない。「大物感」なんて言うと、20世紀の古き良きクラシックの姿が思い浮かぶのだけれど、かつての大時代的な嫌味は感じられず、より今を感じさせる瑞々しさを湛えていて、おもしろい。いや、古臭さも、大時代的であることすらも、どこかポジティブに捉えて、貪欲に、そのいいところを手元に手繰り寄せてしまうのがロウヴァリの音楽性だろうか?現代に生きながら、ニュートラルにモダン・オーケストラの歩みを見つめ、かつてと、今と、それぞれのいいところを巧みに抽出し、精緻に配合させた上で、オーケストラを起動させる。すると、音楽は、自ら持つ魅力を、溢れ出すことが押さえられないように雄弁に語り出す。ウーン、唸ってしまう。ロウヴァリの恐るべきバランス感覚... そのバランス感覚があって解き放たれる音楽の、狂おしいほどの魅力!
そう、シベリウスの1番の交響曲が、こんなにも魅力的だなんて... 歌付きのクレルヴォ交響曲に始まり、1番から7番まで、全部で8曲の交響曲を残したシベリウス。言うまでもなく、20世紀を代表するシンフォニストのひとり... で、その交響曲のイメージは、北欧らしい透明感を湛え、北極圏に近いフィンランドならではの大自然、そこを吹き抜けて行く風が感じられるような颯爽とした佇まいに魅了されるのだけれど、1番は、ちょっと、違う?いや、改めて、シベリウス交響曲を振り返って思うのだけれど、シベリウスにとって交響曲における円熟は、絶対音楽としての純化であり、つまり1番は未純化な状態であって、雑味が多い。その雑味のひとつが、ロシアっぽさ... 終楽章(track.4)の鮮烈にして悲劇的な始まりは、まるでチャイコフスキー「悲愴」(1893)のようだし... それだけでなく、全体にロシア的な土臭さを漂わせて、ヘヴィー。またそのヘヴィーさには、ショスタコーヴィチの交響曲を予感させるところもあって、何か鬱屈とした感情を抱えるようでもあり、マッド。フィンランドは、1809年以来、ロシアの支配下にあり、ロシア帝国の首都、サンクト・ペテルブルクにも程近く、ロシアの影響は多分にあったろう。一方で、1番が作曲された当時、フィンランドは、ロシアから新たにやって来た総督、ボブリコフ(1898年にヘルシンキに着任し、1904年、フィンランド人の民族主義者に暗殺... )によるロシア化政策により、かえってフィンランドナショナリズムは高揚。1番と同じ年に作曲された「フィンランディア」は、まさにその象徴だった。という、それまでのロシアからの影響と、新たに盛り上がるロシアへの反抗が、この1番に、何か情念のようなものを生み出すのか?また、シベリウスは、1番を作曲するにあたり、ベルリオーズ幻想交響曲(1898年、ベルリンを旅し、そこで聴く... )にインスパイアされている。それこそ情念の交響曲!このあたりにも、シベリウスの若さを見る。しかし、一筋縄には行かない音楽の、雑味があってこその魅力に、今さらながらに気付かされ、惹き込まれた。
さて、1番の交響曲の後には、交響詩「エン・サガ」(track.5)が取り上げられる。それは、1番から6年を遡った1893年に作曲された作品で、スウェーデン語(シベリウスは、スウェーデン系... )で、あるサガ=叙事詩を指し、フィンランド叙事詩、『カレワラ』を題材に書かれたクレルヴォ交響曲(1892)の延長線上にある作品。ということで、1番よりも、より民族的な要素に彩られ、典型的な国民楽派の音楽を響かせる。そして、まさしく交響詩!ドラマティックな情景が次々に表れて、物語が感じられ、どこか映像的ですらあるのか... という音楽の豊かな表情を丁寧に描き、そのドラマティシズムを際立たせるロウヴァリ!叙事詩としての風格を大切にしながらも、よりダイナミックに物語を展開し、魅了される!いや、1番でもそうだったけれど、この交響詩、こんなにも魅力的だった?何だか、狐につままれたような心地がして来る。で、1番も合わせて、それを可能としているのが、ロウヴァリのヴィジョンを徹底的にサウンドにして行く、イェーテボリ響の熱くも確かなパフォーマンス... これまでも、どんなレパートリーも器用にこなし、手堅い印象があったけれど、ちょっと見違えてしまう。全てのサウンドは息衝き、より鮮やかに発せられ、リズムは重みを含みながら躍動する。そうして生まれる音楽の存在感というか、重量感に痺れてしまう。そういう演奏があって、シベリウスの魅力に、今さらながらに圧倒された。
さて、このアルバム、フランスのレーベル、Alphaからのリリース。で、Alphaというと、お洒落なマイナー・レーベル、古楽やピリオドで、切れ味鋭く、センスの良い仕事を繰り出すレーベルというイメージだったけれど、こういう若い才能を発掘(前回、聴いた、ウルバンスキしかり... )し、またシベリウスで世に問おうとは... そう、これは、かつて、メジャー・レーベルがやっていたこと。いや、時代は変わったわけだ。かつてのAlphaも大好きだけれど、Alphaの新しい方向性にもワクワクさせられる。でもって、このシベリウスの1番のアルバムが、ロウヴァリ+イェーテボリ響による、シベリウス交響曲+交響詩のシリーズの第一弾とのこと... いや、もう、早く続きが聴きたい!てか、第一弾にして、今、最も期待したいシリーズ... こういうワクワクは、久々!でもって、シベリウスばかりでなく、他も聴いてみたい、ロウヴァリ!
SIBELIUS SYMPHONY No.1 Gothenburg Symphony Santtu-Matias Rouvali

シベリウス : 交響曲 第1番 ホ短調 Op.39
シベリウス : 交響詩 「エン・サガ」 Op.9

サントゥ・マティアス・ロウヴァリ/イェーテボリ交響楽団

Alpha/Alpha 440