音のタイル張り舗道。

クラシックという銀河を漂う... 

2019年、今年の音楽、リヒャルト・シュトラウス、『ばらの騎士』。

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今年の漢字、"令"でしたね。いやはや、皆さま、考えてらっしゃらない。令和で、"令"だなんて、もうちょっと2019年がどういう年だったか、考えてみませんこと?などと、突っ込まずいられないのは、例年のことか... ということで、今年も、選びます。音のタイル張り舗道。が選ぶ、今年の音楽!ま、広く募るようなことはせず、独断と偏見、極まっておりますので、毎年、すんごいのを選んでおります。例えば、昨年、2018年は、ベリオのシンフォニア(音楽史をひっくり返して、大変なことになっちゃった、ような音楽... )でした。一昨年、2017年は、リヒャルト・シュトラウス『サロメ』(お馴染み、退廃の定番。耽美の一方で、ドン詰まり感が半端無い... )。そして、初めて選んだ2016年は、リゲティ『ル・グラン・マカーブル』(終末が訪れるも、死の皇帝がスっ転んで、頭打って死んだもんだから、終末が取り止めとなるトホホ... )。って、ちょっと惨憺たる選びよう?いや、振り返ってみると、惨憺たる状態が続いております。その先に、2019年、どんな年だったろうか?良いことも、悪いこともあって、何より、ひとつの時代が終わり、新しい時代が始まった。そんな一年を、少しセンチメンタルに見つめて...
2019年、今年の音楽は、リヒャルト・シュトラウスのオペラ『ばらの騎士』!カミラ・ニールンド(ソプラノ)の元帥夫人、ポーラ・ムリヒー(メッゾ・ソプラノ)のオクタヴィアン、ピーター・ローズ(バス)のオックス男爵、マルク・アルブレヒト率いるネーデルラントフィルハーモニー管弦楽団の演奏、オランダ国立オペラによるライヴ盤(CHALLENGE CLASSICS/CC 72741)を聴く。
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クリスマスに聴くドイツ・バロックの素朴、ハスラーの微笑ましさ。

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さて、クリスマス・イヴです。でもって、日本のクラシックにとっては、やっぱり、第九の季節... いや、毎年、思うのだけれど、「第九の季節」って、なかなか感慨深いものがあります(すでに季語だよね... 日本の文化に融け込んでいる... )。が、クラシック的に、あまりに"クリスマス"がスルーされてしまうのはもったいない気がする。何しろ、西洋音楽の発展には、教会の存在が欠かせなかったわけで... その教会にとっての最大のお祭りのひとつ、イエス様のお誕生日を祝う"クリスマス"は、教会音楽にとっても、力が入いるわけで... グレゴリオ聖歌の整備以来、長い教会音楽の歩みの中には、多くのクリスマスのための作品、つまり、いつもよりスペシャルな、クリスマスのための音楽が作曲されて来たわけです。バッハのクリスマス・オラトリオヘンデルオラトリオ『メサイア』だけじゃありません。そうしたあたり、もうちょい取り上げられたならいいのになァ。
ということで、ルネサンス末、ドイツのクリスマスの音楽... ヴォーカル・クァルテット、ペニャローサ・アンサンブルが歌う、バッハ、ヘンデルの源流、ハスラーによる、待降節とクリスマスのための作品集、"In Dulci Jubilo"(Carus/83.396)を聴く。
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年の瀬に聴く『展覧会の絵』、アリス・沙良・オット、大器!

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何となしに、いつもの年より、いろいろ思うことが多いような今年の年の瀬... それだけ、いろいろなことがあった2019年ということなのだろう。そんな2019年を振り返って、頭に浮かぶのは、「分断」の二文字。世界で、日本で、あらゆる場所で、「分断」が強調される一年だったなと... ニュースには、日々、分断された向こう側を罵る人々が登場し、そんな場面を繰り返し流されれば、不安ばかりが募る一年でもあったなと... また、そうした不安をエネルギーに、「分断」は、ますます勢い付いて... しかし、少し冷静になって、少し距離を取って、分断のあちら側とそちら側を見つめてみると、何だか滑稽にも思えて来る一年でもあった。分断の右側を見れば、何だか呑んだくれのオヤジのように見えるし、左側を見れば、過保護のママみたいだし... ママが過保護だから、オヤジはますます呑んだくれて、オヤジが呑んだくれて、ワケがわからなくなるから、ママはヒステリーを起こし... 見事な悪循環!一方で、そこには、ある種のコミュニケーションが成立していたようにも思う。てか、20世紀の昭和の典型的なバッドな家庭の風景のよう?で、21世紀のリアルに生きる、オヤジとママのこどもたち、私たちは、そんな両親が、はっきり言って、うざい... 呑まずに現実を見ろ!ヒステリー起こす前に現実に対処しろ!サイレント・マジョリティーたるこどもたちの本音は、そういうものではないだろうか?今、本当にある「分断」は、親子間のもの。つまり、20世紀的な志向と、21世紀に生まれつつある指向の対立。かなと... 過渡期なればこその対立なのだよね、これも歴史に回収されれば、興味深い。となるのだろうけれど、まだ先だァ。は、さて置き、音楽。
前回、ダ・ヴィンチの名作を音楽で構成する大胆な企画を聴いたので、本家、『展覧会の絵』、どうかなと... いや、年末感ない?この組曲... ということで、アリス・沙良・オットが弾く、ムソルグスキーの『展覧会の絵』と、シューベルトの17番のピアノ・ソナタによるライヴ盤(Deutsche Grammophon/4790088)。を、聴きながら、2019年を振り返る年の瀬。みたいな...
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ダ・ヴィンチ、没後500年、その絵画を音楽で再構築したならば...

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さてさて、2019年も、残すところ2週間... 良いことも、悪いことも、凄過ぎた年だっただけに、いつもの年の瀬より、何だか感慨は深くなる。いや、感慨に耽っている場合でなくて、やることいっぱいの年の瀬でありまして... 当blog的には、2019年にメモリアルを迎えた作曲家たち、まだ取り上げ切れていなかったあたりを、駆け込みで取り上げております。で、没後150年、ベルリオーズの大作に続いて、没後350年、チェスティに、生誕150年、コミタスと、メモリアルならではのマニアックな存在に注目。そして、その締めに、ある意味、最もビッグな存在を取り上げてみたいと思う。没後500年、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)!てか、画家でしょ?いや、マルチ・クリエイターとしても近年は注目されてますよね... で、実は、ダ・ヴィンチ、音楽もやっておりまして、当時、その名は、音楽家としても知られており... だからか、その絵画には音楽が籠められている?という、大胆な解釈の下、ダ・ヴィンチが活躍した時代の音楽を取り上げる意欲作を聴いてみようかなと...
ドニ・レザン・ダドル率いる、フランスの古楽アンサンブル、ドゥルス・メモワールの歌と演奏で、ダ・ヴィンチが生きた時代の音楽を用い、大胆にその絵画を構成する、"LEONARDO DA VINCI LA MUSIQUE SECRÈTE"(Alpha/Alpha 456)を聴く。
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コミタス、生誕150年、アルメニア、苦難の果てのイノセンス...

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テジュ・コール著、『オープン・シティ』という本を読んでいます。不思議な本です。ニューヨークに住む精神科のインターンの先生(かなりのクラシック・ファン!)が、今に続く世界の様々な傷跡をなぞり、意識の中で漂泊する、小説のようで、小説じゃないような、つまりルポのような... そうした境界は曖昧で、曖昧なればこそ生まれる独特な瑞々しさが印象的で、その瑞々しさが、我々の足元に眠る、かつての闇、傷を呼び覚まし、世界が歩んで来た道程の重さを意識させる。で、かつてがどうのとほじくり返すのではなく、ただその重みを受け止める。受け止めて、そこに某かのセンチメンタリズムを見出し、不思議な味わいを漂わせる。無かったことにする、あるいは、ほじくり返して、再び衝突を呼び覚ます、21世紀、どういうわけか両極端に突っ走ってしまうのはなぜなのだろう?『オープン・シティ』を読んでいて、考えさせられた。いや考えなくてはいけないと思った。今、正義か?悪か?敵か?味方か?線引きばかりが横行し、考えることが許されないような空気感すらある。それで、解決できるのか?答えを出せるのだろうか?我々は、前進するために、一度、立ち止まらなければいけないのかもしれない。ということで、立ち止まって、ちょっと思いを巡らす音楽... 生誕150年、コミタスの音楽に注目してみる。
19世紀末から第1次大戦(1914-18)に掛けて、各地での民族主義の高まりと列強の拡張主義に翻弄され、ディアスポラの悲劇に見舞われたアルメニアの人々... そうした時代を生きたアルメニアの作曲家、コミタスの作品を、アメルニアのピアニスト、ルシン・グリゴリアンがピアノで弾いた作品集、"Seven Songs"(ECM NEW SERIES/481 2556)を聴く。
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チェスティ、没後350年、バロック・オペラ確立前夜のナチュラル...

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刻々と年の瀬が近付いております。でもって、例年通り、いろいろせっつかれるような状況となりつつありまして、若干、気が滅入って来るような、今日この頃... そうした中、当blog的には、2019年にメモリアルを迎えた作曲家たち、まだ取り上げていない面々を駆け込みで取り上げます(って、これも、例年通りなのだけれど... )。別に、メモリアルなんて意識しなくたって、いつでも取り上げればいい話し... なのだけれど、普段、なかなか視野に入って来ないマニアックな存在は、やっぱり"メモリアル"が絶妙な玄関口に... ということで、今回、取り上げるのは、没後350年のチェスティ!ポスト・モンテヴェルディの時代、バロック・オペラが、よりしっかりとした形を獲得して行く頃に活躍したオペラ作家。つまり、普段、あまり顧みられることのない、バロック・オペラは如何にして全盛期を迎えるのかを窺い知ることのできるチェスティのオペラ... 黎明期と全盛期をつなぐ存在だけに、どうしてもインパクトに欠ける位置にあるのだけれど、間違いなく、オペラ史にとって、かけがえのない存在...
ということで、チェスティに注目!ラケル・アンドゥエサ(ソプラノ)と、ヘスス・フェルナンデス・バエナ(テオルボ)が結成した、スペインの古楽アンサンブル、ラ・ガラニエによる、チェスティのアリア集、"ALMA MIA"(ANIMA e CORPO/AEC 003)を聴く。
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ベルリオーズ、らしさを反転させて輝かせる『キリストの幼時』。

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音楽史において、「異端児」という言葉は、この人のためにあるんじゃないかとすら思う、ベルリオーズ... 没後150年のメモリアル、改めてベルリオーズと、ベルリオーズが活きた時代を見つめると、この異端児を生み出した時代性、その時代をも揺さぶるベルリオーズの異端児っぷりが、何だかマンガのようで、21世紀からすると、めちゃくちゃおもしろい(裏を返せば、我々が生きている時代は、あまりに整い過ぎている... ゆえの閉塞感?)。古典主義のカウンター・カルチャーとして登場したロマン主義... ベルリオーズが本格的に音楽を学び始めた頃、ロマン主義はカウンターからメインへとのし上がり、その下克上の波に乗って、さらなる衝撃を与えるベルリオーズ絶対音楽=交響曲にストーリーを持ち込む掟破り、幻想交響曲(1830)に始まり、ヴァーチャル黙示録?巨大なレクイエム(1837)、2日分?長大なオペラ『トロイの人々』(1858)などなど、それまでの枠組みから逸脱する作品を次々に送り出し、当時の人々を驚かしたわけだが、それらは時代を経た現在に至っても十分に驚かせてくれる規格外!やっぱり、ベルリオーズは異端児... さて、そんなベルリオーズの、ちょっと大人しめの作品、オラトリオ『キリストの幼時』を聴いてみようと思う。この大人しいあたりが、異端児にとっての異端?
ということで、レクイエム荘厳ミサに続いて、ベルリオーズ・メモリアルの総決算に... ロビン・ティチアーティの指揮、スウェーデン放送交響楽団の演奏、スウェーデン放送合唱団、ヤン・ブロン(テノール)、ヴェロニク・ジャンス(ソプラノ)、シュテファン・ローゲス(バリトン)、アラステア・マイルズ(バス)の歌による、ベルリオーズのオラトリオ『キリストの幼時』(LINN/CKD 440)。
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